姑息な手段

 先日、都内の高校に通っている甥っ子の学校が某高校と対戦した時の話を聞きました。相手のCKの時、相手選手が二人が甥っ子のチームのGKの前に立ちはだかり、バレーボールのように両手を大きく挙げて視界を遮りプレーを妨害するのだそうです。
 GKの前に立って手を挙げてはいけないというルールはありませんから、審判も反則のとりようがありません。GKがいやがって前に出ようとすると、進路をふさぐように動き、いつまでもしつこく妨害を続けるというのです。プレーにかかわりのないところで不必要に体を接触させれば反則になりますが、彼らはそのスレスレのところでその行為を続けるというのです。
 困ったものですね。そうした「作戦」を指示しているのが普段「先生」と呼ばれる人なのですから。
 GKのプレーを制限するような姑息な手段を使えば、GKのミスを誘い一回か二回は勝ち進むことができるでしょう。しかし、そのようなまっとうな技術、戦術とは別次元で進行させる手段がいつまでも通じるものではありません。邪道は緒戦、邪道にすぎないのです。どこかで行き止まりになるのです。
 問題は、そうして姑息な手段しか知らずに勝ち進んだ生徒たちに何が残のか、ということです。大学や社会人に進んでサッカーをする時に、CKの場面で同じようにGKの前に立って手を挙げるようなをプレーをするのでしょうか。そういう方法でしかCKから得点を取る方法を知らずに成長するのでしょうか。彼らはその他にどのようなCKの攻略法を学んだのでしょうか。
 指導している先生は、あくまで教員であり競技コーチではないのですから、目先の勝敗を手にする「術」を伝授するばかりではなく、生徒の人間的な成長を考え、将来の財産になるような指導をしてほしいものです。
 でもそういえば、私が指導するチームの6年生が横浜市の大会に出場し、幸運にも好成績に恵まれてレベルの高い1部リーグで試合した時、多くのチームが「キーパーの前に立て!!!」という監督の怒号に応じて、同じようなことをしていたことを思い出しました。そういうチームはシャツをつかんだり押したり、当たり前のようにしたいました。「1部でプレーするのはいいけど、こういう試合ばかりだと何だか嫌気が差しますね」と、お手伝いのお父さんと話した記憶があります。