国母選手の問題

 冬季五輪スノボー代表・国母和宏選手の服装問題にまつわる行動が取り沙汰されました。本人がかねてから語っているとされる話を総合すると、そもそもスノボー自体が既製の伝統的な概念に対抗するライフスタイルを持っていること、また、国母選手自身が周囲が騒ぐほどオリンピックを特別な大会とは認識しておらず、国民がどう思おうと自分は単なる一大会として参加するにすぎないこと、などから、服装を含めてとやかく言われることに反発心を持ったようです。
 サッカーにも「W杯予選も一つの試合にすぎない。特別な思いはない」と醒めた表情で言い続けた選手がいたくらいですから、国母選手がオリンピックをどのように位置づけようと自由です。ただし、プロである限り、自分が何のサポートによって競技を続けられるのか、常に考える必要はあります。国母選手も、自ら稼ぐ賞金だけでなく、数々のスポンサーなどのサポート、メディアの報道などによってスノボー生活が成り立っているわけです。
 海外のアスリートのスポンサーに対する忠誠心は尋常ではありません。ことあるごとにサポートしてくれているスポンサーに配慮する行動をとります。バルセロナ五輪でドリームチームを組んだ米・バスケットボールチームは、チームとしてはリーボック社がスポンサーでした。しかし、エースのマイケル・ジョーダン選手は個人的にナイキ社と契約していました。米チームが優勝して表彰台に上がるとき、ナイキ社から何十億もの契約金を受け取っているジョーダン選手が全世界の注目を受ける表彰台の上でライバルのリーボック社のジャージを着るのかどうか、注目されました。
 ジョーダン選手の取った行動は非常に賢く、上手なものでした。チームの一員としてリーボック社のジャージを着用したのですが、肩にストールのようにして星条旗を巻き付け、リーボック社のエンブレムが見えないようにしたのです。星条旗なら愛国心の現れでもありますから、エンブレムをあからさまに隠しているという印象も与えません。「神」と称賛されたジョーダン選手でさえ、こうした気遣いをしていたのです。
 さて、国母選手です。乗り気でないとはいえ、オリンピックに参加するという意志を示した以上、プロとしてオリンピックにまつわるスポンサーに気を遣う必要があります。メディアに取り上げられるような場面でスポンサー企業以外の飲み物、食べ物を口にしないなどというのは序の口。その延長で考えれば、選手の派遣費用をまかなってくれている国に対しても、好むか好まざるかに関わらず、気を遣う必要があるわけです。スポンサードしてもらっていながら、「あまり本気ではない」というような印象を与える言葉を発したり、「そっちがどう思おうが知ったことか、オレはオレのやり方をする」という態度を押し出すことは、適当ではないでしょう。
 報道によれば「我が道を行く」的な行動は、かねてからの国母選手の特徴でもあるとか。そういう紹介があるたびに「それでも国母選手は---」という調子で、彼がどれくらい実績を残しているか、どれだけスノボー界では優秀な選手であるかが紹介されます。つまり「結果を出しているからいいでしょう」という話です。スノボーは新しいスポーツですから、スノーボーダーやその関係者にとっては19世紀のイギリスで整備されたフットボールをはじめとする近代スポーツの精神自体が「古びた、かび臭い」ものなのかもしれまん。ただ、オリンピックの創始者クーベルタン男爵はフランス人ですが、イギリスの近代スポーツの精神に感動して近代オリンピックの創設に奔走したという史実は忘れないでほしいと思います。