朝青龍とJ・テリー

 朝青龍が引退しました。横綱の解雇という前代未聞の汚点を残すより、自ら身を引いたという形式にしたほうが万事、収まりがよいという判断でしょう。
 これまで数々の不祥事を起こし、その度に「品格」を問われていた朝青龍ですが、相撲協会は毅然とした態度が取れませんでした。朝青龍は力士としての競技力でいえば絶対的な実力者であり、一方で「ヒール」としての顔でもありました。興行として相撲を維持していくためには、欠かせないキャラクターだったわけです。
 場所中に一般人を暴行するという暴挙をとがめられた今回ばかりは、朝青龍自身も相撲協会も、過去のように、うやむやで終わらすことはできなかったようです。横審の委員だった内舘牧子さんが「次の仕事をする時には、その国、その仕事への敬意をわすれずにやってほしい」という趣旨のコメントを出されていましたが、私もまさにその通りだと思いました。
 さて、話題代わってイングランドのサッカーです。代表チーム主将のジョン・テリー選手の不倫が発覚し、そのお相手が元チームメイトだったウエイン・ブリッジ選手の愛人だったということで、英メディスアは大騒ぎです。テリーの行動は代表チームのキャブテンに相応しくないということで、バッシングが続いています。キャブテンからの降格どころか、代表メンバーから外すべきだという強い批判もあります。
 このニュースから、イングランドでは代表チームに選出されることやキャブテンを任されるということに対して、非常に大きな責任と自覚が求められていることがわかります。プロなのだからピッチで結果をだせばよいではないか、ブライベートについてあれこれ言うな、という主張は通りそうもありません。こういう世論のありかたも、前回、書かせていただいたフットボールスビリットなのではないかと私は思います。
 朝青龍は、強いこと、人気があったことで、本来、求められるべき「相撲の精神」を軽んじることが黙認されてきました。興行的な収益、メディアキャラクター価値的という目前の「実利」が、人として重視すべき倫理、哲学というものを駆逐していたのです。しかし、そうした「精神」の部分をないがしろにするものは、一時の隆盛はあってもやはり永続できないでしょう。
 テリーの行動は今後、どう評価されるのでしょう。キャブテン剥奪うんぬん、代表選出うんぬんは監督のカペッロ氏に委ねられました。朝青龍のように、はじめの何度かは大目に見てもらえるのでしょうか。
代表監督はイタリア人です。もしかしたらイタリア人的感覚で女性問題を処理するかもしれません。そうなった時に、イングランドの人々はどのように感じるのか、興味があります。