失礼の極み

 招致の票集めに賄賂を2億円使って責任者が辞任し、招致演説で首相が「アンダーコントロール」と平気で大嘘をつき、競技場の設計はキャンセル料払ってやり直しとなり、大会エンブレムは盗作疑惑で作り直しになり、組織委員長は女性蔑視で辞任し、開会式の演出スタッフが総入れ替えになったと思ったら新しいリーダーがタレント侮辱発言で辞任し、ようやく本番にこぎつけそうというタイミングで聞くもおぞましい弱者イジメの誇示とユダヤ虐殺に関する不適切行為が暴かれて関係者が解任され、過去に例のないスキャンダルてんこ盛りの五輪開催となったわけです。

 そんな中、どんな開会式になるのかと覗いてみると、コロナ犠牲者に気を配るわ、多様性に気を配るわ、災害被害者に気を配るわ、エッセンシャルワーカーに気を配るわ、過去のテロ犠牲者に気を配るわ、まぁともかく「全方位に平等にいい顔しますよ」という、ある意味、日本人のお役所仕事をそのまま現したような、皆様のNHK的な内容。

 

 「アニメ文化」の国ということでプラードやスタッフ衣装にマンガ的デザインを多様したようですが、当の日本人の中にどれだけその意図を理解して「うん、それいいね」と思った人がいるのでしょう? むしろチープで安っぽい印象を持った人が多いのでは?デザインでも音楽でも、世界からリスペクトされる才能が数多いるのに、そんな「宝」を使わずに、衣装も音楽もアニメかよ...って思っているのは私がオジさんの証拠ですかね(笑)。

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 とまぁ色々とツッコミどころ満載の開会式でしたが、なんと言っても極め付けはバッハ会長の死ぬほどつまらなく、一つも心に響くことのない、ただただ無駄に長いだけのメッセージですね。あれほど誰にも共感を得ることができない「連帯」という言葉の連発は、過去にないでしょうね。あんたとなんか、誰一人死んでも連帯したくない(笑)。

 

 そして、この史上最低のバッハメッセージの後に、後にも先にも絶対にありえないであろう、おぞましい光景が全世界に映し出されました。天皇が会開宣言を発しているときに、あろうことか首相が例の腹話術の人形のような気の抜けた顔でよそ見をして、しかも着席したままだったのです。

 

 憲法で日本国の「象徴」とされる天皇が、日本を代表する国家元首として全世界に向けて開会のメッセージを起立して発しようとしているそのとき、隣にいながらよそ見をして着席しているって!?。世が世なら切腹とか打首でしょうね(笑)。旧憲法でも不敬罪で投獄されたことでしょう。民主主義の今の世にあっても、礼節の常識として絶対にありえないですよね。

 まぁ振り返ってみれば、コロナ感染拡大が収束しない中でオリンピックを強行しようとしている状況を憂慮した天皇が、侍従の代弁という形で開催の懸念を示したときに、それは代弁した侍従の「個人的見解にすぎない」として切り捨てた人たちの頂点に立つのがあの首相ですからね。天皇がどうあろうが気にも止めないというような、極めて不敬な心理が日常からあるから、あのような大事な場面で普段の気持ちが自然に出てしまうんでしょうね。私は決して皇国史観を支持する立場ではないですが、そんな私にしても「何をしているんだオイ」と非常に腹立たしい気持ちにさせられました。

 ソフトボール、サッカー、柔道、卓球、体操、スケートボード…日々、選手たちはそれぞれに素晴らしいパフォーマンスを披露しています。ガースーさんは、きっと大会終了後「ほら、やったよかったでしょ」と平然と勝ち馬に乗るのでしょうね。その時もまたきっと、誰かに書かせた原稿を読むのでしょうね(笑)。

いずれにせよ...安心安全です

Q「コロナウイルス感染者がまた増加傾向にありますが、本当にオリンピックを開くのですか」

A「いずれにせよ、国民の皆様の安全安心を確保することが大切と思っています」

Q「インド株と呼ばれる感染力の強いウイルスが蔓延しはじめていますが、その発生元のインドも含めて、感染状況やワクチン接種率がまちまちな世界各国から何万人もの五輪関係者が日本を訪れることになりますが、大丈夫でしょうか? イギリスなどでは再び感染拡大が進んでいます。ヨーロッパや南米のサッカーのビッグイベントでは大量の感染者がでています」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「選手、関係者が来日した際、空港の導線で一般客と容易に混在するエリアがあるとのことです。また、導線に隣接するトイレやコーヒースタンドなどでは、まったく境界線なく一般客と海外からの五輪関係者が混在してしまうとのことです

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「事前合宿に来ている複数の国の選手から感染者が確認されました。また、ほとんど選手が来ていない状態で既に選手村関係者に感染者、濃厚接触者が出てしまいました。ボランティアなど関係者は大会中、自宅から公共交通機関を使って関係各所に通うとのこと。大会が本格化して人の出入りがさらに激しくなった時、感染拡大の危険はないのですか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

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Q「選手はバブル方式とかで外部との接触を断つとのことですが、メディア関係者は周辺取材で予測不能な動きをしたり、日本国民の五輪に対する意識などを取材するために一般市民と触れ合うことが予測されます。感染拡大の懸念はありませんか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「無観客にしても、限定観客にしても、五輪が開催された場合は、開催されない場合に比べて、人流が増えることは確実です。通常と変わらず、ということはあり得ません。そもそも感染対策で最も重要なことは人流の抑制なのでは」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「幼稚園から高校まで日本全国で運動会が中止。スポーツの各種大会の多くが中止。その他、大勢の人が集まるイベントは全て中止となっているのに、五輪は開いていいという道理をどのように子どもたちに説明しますか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「蔓延防止措置で飲食店の営業が20:00終了になっています。人流を抑えるためとのことです。五輪は種目によって22:00ころまで試合があるそうですね。電車の運行もそれに合わせて深夜まで便を増設するとか。感染最大の原因とされる人流の増加を敢えて促進しているのですか?20:00以降の営業を止めている飲食業者にはどのように説明するのですか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「緊急事態宣言との区別がつかない蔓延防止対策措置が延長される見通しです。旅行は控えろ、仕事はできればテレワークでしろ、外出は控えろ、なるべく人と接触しないように、人と接触する場合はなめべく短時間で、と発令しておいて、海外から何万人余の人を集めてビッグイベントを開催する。おかしくないですか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「そもそも、3.11大災害の復興を祈念した"復興五輪"という理念を前面に押し出して獲得した東京五輪招致です。いつの間に"人類がコロナに打ち勝った証"というお題目にすり替わったのですか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「しかも"打ち勝った"とは到底言うことができない現状です、高齢者でさえワクチン接種ができていない人がいる。ここにきてワクチンが足りなくなったので接種を見合わせている、などと言っている。そして感染は一向に収まらない。何をして"打ち勝った証"とするのですか」

A「いずれにせよ、国民の安心安全を確保することが大切と思っています」

Q「とにかくはじめてしまえば盛り上がる。日本人がメダルを取れば、勇気をもらった、五輪を開いてよかったとなる。そこで"我々は苦難に打ち勝って五輪を実施しましたよ"とアピールして、秋の選挙で勝ちたいだけでしょ。人の命を党利党略に利用するのですか」

A「いずれにせよ、国民の....あれれ...バレてますか?」

Q「国民が気がついていないとでも思っていのですか?かなり国民をノーテンキなバカ扱いしてますね。だいたい、なぜあなたは腹話術の人形みたいに無表情で決まりきったセリフをおうむ返しするしかできないんですか」

A「すみません、手元に原稿がないことは全然話せないんです」

Q「まぁ、もともと人徳や実績や実力が認められてその地位にいるわけじゃないアナタですから、人を説得するスピーチ力なんてもとより全然ないとは思いますが"安心安全"という自分の言っていることに接得力あると思いますか」

A「いずれにせよ....」

Q「あのね、ただでさえ、1年以上もこれやるな、ここ使うな、ここからはダメと、やたらと制限のある生活をしているんですよ。そこにきてさらに、五輪期間中はここ通るなとか、あれやろめめとか、一方的に日常生活に不便を強いるわけです。その挙句に五輪が終わったら感染爆発で緊急事態宣言なんてなったら、もう暴動おきますよ。わかってますか」

A「いずれにせよ、いずれにせよです」

 

 

 

 

 

あ~あ神奈川県...

 新型コロナウイルスワクチンの65歳以上の都道府県別接種率という比較があります。我が神奈川県は…と探していくと、あったあった下から6番目の41位。

 横浜市とか、藤沢市とか、鎌倉市とか、全国の住みたい町ランキング上位にいくつもの都市がランクされている神奈川県ですが、この実態を見て県外の方々はどう思うのでしょうね。

 私たちスポーツに関わる人間は、主にグラウンド利用を通して「県」と関わるのですが、まず県営のグラウンドの少なさに意気消沈します。野球だってサッカーだって、登録チーム数や大会予選に参加するチーム数は神奈川は全国一なのに、県営グラウンドは指折り数えるほどしかありません。県民数にまったく折り合っていない。

 さらに、その指折り数える数の施設の設備が貧弱で古いことにがっかりさせられます。それでも、絶対数が圧倒的に少ないから、石ころだらけでデコボコのグラウンドでもかなりの倍率で競争しないと確保できない。

 加えて、グラウンド利用の手続きを通して接する「県」の担当者の態度がお世辞にも良いと言えない。どこの施設の担当者も高飛車で感じ悪い。そもそも施設は「県」のものなのに、管理担当者がまるで自分の施設を「俺が使わせてやってるんだ」という態度をあからさまに示す。

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 県立学校の校庭を借りる学校開放の担当者も、人としていかがなものか?と思わせる人物ばかり。知り合いが県立高校体育科の教員でサッカー部の顧問をしていたので、彼の学校に招かれて練習試合をした際、ウォーミングアップをしていたら窓口の男性が血相を変えて怒鳴り込んできたことがありました。曰く「挨拶がないぞ!!」。「~先生にお招きいただいた者ですが…」というと「誰先生が何と言おうが関係ないのだ。俺が仕切っているんだ」と。

 また別の県立高校では、金曜ナイターの開放が「使用停止」となったので、どうしてNGなのですか?と尋ねると、土曜朝にサッカー部の試合があるので、金曜のうちにラインを引くから、それを消されたくないから」とのこと。「土曜の朝、登校してからラインを引けないのでしょうか?」と聞くと「その分、生徒が早起きして体調崩したら、責任とってくれますか」と。

 一方、横浜市関係は対応が違います。「学校開放をいつもご利用いたきありがとうございます」と校長、副校長が頭を下げて下さる。土曜の早朝にサッカー部の試合がある時でも金曜のナイターを開放してくれます。「金曜のナイターを使わないことになりました」と先生に告げると「そうですか。ラッキーです、明日、試合なので、今日中にラインが引けます」という対応。

 コロナ対策でも、県立高は即時「全面使用停止」ですが、市立学校は飲食店などへの規制に合わせて20時まではOKとのことで「ご不便おかけしますがご協力お願いします」

 あくまでもスポーツ施設の利用に限った印象ですが、神奈川県は何かにつけて「使わせないようにする」理由を探しているという印象。一方、横浜市は「可能な限り使っていただく」という印象。こうしたことを我々庶民が日常的に体感するのは、やはりそれぞれの組織の中にある「体質」のようなものが関係するのでしょうかね? 

 日頃そういう体感を持ちながら過ごしていて、今回の接種率47都道府県中41位という現実を見せつけられると、「あ~あやっばり神奈川県の行政は何をやってもダメなんだな」と思ってしまうわけです。一事が万事にするな、と怒られそうですが...。

記者の質も問え!

 大坂なおみ選手が記者会見の欠席を表明すると、組織はすぐに重い罰金処置を下しました。ヒアリングもなく説得もなく、いきなり重い罰金が言い渡された経緯を見て、もしこれがシャラポアだったら、ヒンギスだったら、グラフだったら、あるいはエバートやナブラチロアだったら同じだったか?と疑問に思うのは少し考え過ぎでしょうか?

 今あげた選手たちはみな、いわゆる白人です。組織が大坂選手に「即断」に近い形で重い処罰を課したのは、彼女が「Black Lives Matter」などに関して積極的に発信している有色人種であったことと無関係なのだろうかと疑うのは考え過ぎでしょうか? 考えすぎであることを祈ります。

 さて、メディアとの共存はプロアスリートの宿命です。会見への出席は仕事の一部です。一方、記者も報じることが仕事です。会見で選手の話が聞けなければ仕事になりません。なので、いわば「お互い様」なのですから、互いが互いの仕事に敬意を持って接したいものです。

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 ところが、聞く側に問題が多いことも事実です。自分もかつて取材者としてミックスゾーンや記者会見場で選手に質問をしていたので、そこでの様子はよく知っています。とりあえず自分のことは棚に上げて言わせていただくと「くだらないこと聞くなよ」と言いたくなる質問はかなりあります。むしろそういう類の質問の方が多いという印象があります。

 先日、女性蔑視発言で物議を醸した森喜朗氏が「どうせ面白おかしく書きたいんだろう」と開き直ってさらに叩かれましたが、確かに森氏がそう感じるような接し方をするメディア関係者がスポーツ報道界にもいることは確かです。面白おかしく書けるネタを引き出せば、翌日の「見出し」に使えるわけですから。

 かつて25~6歳の若いアスリートが実にくだらない失礼な質問に対して誠実に対応している場面を間近で見て、心から「偉いなぁ」と感じたことがあります。自分があの年齢だったらきっと怒り出してしまい、とてもあのように冷静に対応すことはできないだろうな、と思ったものです。

 「自分の記事さえ注目されればいい」という、スポーツの発展やスポーツの理解に何も役立たないようなくだらない質問がアスリートの心に不要なトゲを刺している現状があります。会見の欠席に何百万円もの罰金を貸すのであれば、その会見で質問する記者のレベルも一定以上に揃えていただきたいし、場違いな質問をしたり的外れな質問をした記者に何がしかの罰則を課すような制度を設けなければフェアではないと思います。 

 まぁどうせ報道の自由とか表現の自由とか、言われるんでしょうけど(笑)。

 

われ先に...

 ワクチン接種、電話回線がパンクするとか、ネットサーバーがダウンするとか絶対にあるんだろうな、と思っていたら、予想通り(笑)。かくいう私にも帰宅すると「高齢者」枠で送られてきた接種券が...。

 ふむふむ、絶対ダメとはわかっているものの、とりあえず申し込んでみるか...。では、高齢者が苦手とされるPCからなら少しは有利かも…と画面の案内通り進んで「接種会場の選択」まで進み、自宅近くの会場を選択すると、カレンダー式の「空き状況」は軒並み×××が。 

 あれれ、やはり便のよいところは人気なのだな、それでは別で...と選択を変えてもまた×××。困ったな、では自宅近くにこだわるのはあきらめて端から探していこう...と市内全域をくまなく探しても×××。結局、全会場が×××。つまり、「今は接種できません」ということ。

 まぁそんなことだろうと思っていたので、翌日から気が向いたときに「ワクチン接種ページ」にアクセスして申し込もうと思うのですが、まぁ何回やっても見事なくらいきれいに並んだ×のオンパレード。すごいですね。皆、どうやって予約したんでしょうか?一日中、PCかスマホとにらめっこしているのでしょうか?まるで人気アーティストのコンサートチケット争奪戦みたいですね。

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 でも薬の数と注射の打ち手の数が接種希望者に対して圧倒的な足りないのですから、しょうがないと言えばしょうがない。永遠に打てないわけではなく、いつか順番が回ってくるのですから、気長に待つしかないですね。きっとそのうち一時のマスクみたいに、ワクチン余って処理に困っている、なんて話にきっとなるはずです。

 しかし、権力者の中にはそういう気持ちで待てない人が多いようですね。自治体の長とか、組織の長とか、なにがしかの権力を持った人間の多くが「自分だけ特別に」と抜け駆けして接種したというニュースがいくつも報道されました。「陣頭指揮を執る立場として感染しているわけにはいかない」みたいなもっともらしい理屈をこねて、家族にまで優先接種させた輩がいました。「自分は医療従事者」などとギャグとしか思えない理由をこじつけた輩もいたようです。親しい人間にこっそり優先枠を与えた輩もいたようです。

 選挙の時に「皆様のため」と連呼した人間のやることがこれです。そういえば、七十数年前の終戦後、食料が「配給」になった時、そのシステムの裏で動いていた「闇」と呼ばれた食料流通の恩恵に存分に浴し不自由ない食生活を送っていたのも権力者たちでした。

 人の本性は危機に瀕したときに暴露されるものです。みな、平時は善人の顔をしていても、いざとなると時代劇の悪代官みたいになってしまうのですね。こういう権力者たちを有権者たちは次の選挙でどう評価するのか、忘れずに注目しましょう

もはやオリンピックではない

 オリンピックの起源である運動競技会は、紀元前800年ころから古代ギリシャの各都市で神々に捧げる祭事として開かれていました。オリンピアという都市で行われていたものが最も盛大だったことから、その後オリンピックという名前が使われるようになります。ヨーロッパをローマが支配する時代になりキリスト教が取り入れられると、ギリシャ神への信仰は異教として排除され、祭事であった運動競技会も衰退します。

 時は移り、19世紀にイギリスを訪れたフランス人クーベルタンは、ただ純粋にスポーツを楽しみ、その過程で忍耐、協調、自己犠牲といった理念を育もうとするジェントルマンたちの姿に感動します。この崇高な理念を何かの形で発展させることはできないか、そう考えたクーベルタンは、衰退していた古代ギリシャの競技会を復活させ、純粋に競技に没頭しその過程で高潔な精神を養うという理念を盛り込もうとします。それが近代オリンピックの始まりです。

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 もとは神への献納、次には高潔な精神の追求がオリンピックの目的でした。しかし高潔な精神を追求するはずだった競技会はやがて勝利、記録追究のためのイベントになり、勝者への注目は資本主義的商品価値に置き換えられ、選手は利潤追求に寄与する広告媒体として値踏みされるようになります。本来なら選手を歓迎するはずの開会式は、豪華な演出を誇示するショーとして法外なチケット代金が設定されるようになりました。

 今やオリンピックは放映権料と協賛スポンサー料を合わせて数千億円を動かすビッグビジネスになりました。現在のオリンピックは、神への奉納でもなく、崇高な精神の追究でもなく、ただその巨額な資金を動かすために「開くこと」そのものが目的となりました。

 人との接触が最も危険であるウイルス感染症パンデミックとなる中、世界中(インドのように恐ろしい状況の国も含めて)から東京に一万数千人の関係者を集めるといいます。大阪では重症者が入院できずに亡くなるほど医療体制がひっ迫しているというのに大会のために500人の看護師を派遣しろといいます。医療従事者のワクチン接種さえ進んでいないのに、選手には優先的にワクチンを接種させるといいます。緊急事態宣言は効果なく延長され、外に出るな、行動を抑制しろと言われている人々が、そんな状況を納得して受け入れるでしょうか?

 感染状況を鑑み、聖火ランナーを公道で走らせることができないので、同じ場所をグルグル回ってリレーするという珍現象がありました。もともと聖火リレーベルリンオリンピックの時にナチスドイツがヨーロッパ大陸支配の象徴としてはじめたことで、オリンピックの理念とは関係のないことだったのです。しかしいつの間にか「恒例」となってしまった。恒例となると「やること」そのものが目的になる。だから、同じ場所を回るなどというまったく意味のない滑稽なアレンジでも、とにかくやる。

 天国のクーベルタンはずいぶん前からすっかり様変わりしてしまったオリンピックを嘆いているはずです。しかし、今回の東京大会にまつわるさまざまな様子を見て、彼の嘆きは絶望にかわってしまったのではないでしょうか。お金を回すことが第一で、そのためなら死に至る伝染病のリスクさえ犯そうとする。これはもはやオリンピックではない、と。

引き出されて断罪される過去の言葉、表現

 東京五輪の開会式イベントを統括していた人物が、LINEの文面の中で不適切な表現をしていたことが明らかになり辞任しました。

 辞任は当然です。ただ、そのLINEのやりとりが時間的にかなり前のことで、しかも限られたスタッフ間でのみ交わされたものであり、それが今になって暴露されるという方法に複雑な気持ちを抱きます。

 開会式の演出に関しては、当初リーダー的な立場にあった方が辞任して、最初に描いていた方向性とは違う形に進むことになり、かの人物が新たなリーダーとなりました。

 外野は憶測することしかできませんが、こうした組織再編が全ての当事者たちの納得のもとで穏便に行われていたとは思えません。最初のリーダーが辞任するような組織の在り方や、新たにリーダーに座った人物の新しいやり方に不満を持つ関係者がいるであろうことは想像に難くありません。

 開会式に限らず、組織のあるところに不満ありです。新たなリーダーのやり方に不信感があるなら、本来は、それを正す場できちんと正していけばいい。とはいえ、そんな正論がまかり通らないのが世の常です。

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 「この男をリーダーから引きづり下ろしたい」と悶々とするものの、正式な場ではとてもそんなことは言い出せない、というスタッフがいたのでしょう。そんな時、森前組織委員長の蔑視発言があった。五輪関係者が女性蔑視の発言はあり得ない、という機運が一気に高まった。「今だ」と思ったのでしょうね。「この男がある日ある時、こんな蔑視表現をしていた」と過去の失言を暴露した。狙い通り、辞任に追い込むことができた。

 誤解のないようにお断りしておきますが、辞任した人物を擁護する気持ちはひとかけらもありません。ただ、それが、任務上の力量などを正された末のことでなく、また公式な場で失言したからでもなく、限定された人物間の過去のやりとりにあった言葉を今になって引き出されてのことである、という部分にひっかかりを感じるのです。

 リーダーとして適正でないなら、本来なら正規の方法で「あなたは不適格だ」と正していけばいい。しかし、それはできない。だから、その人物の人生の中に残されたわずかな「ほつれ」「ほころび」を掘り出し、探し出して、「このような言葉を使うふとどきな人物だ」と暴露することで追放しようとする。

 こういう方法がこの先、多用されていくのだろうと思うと、いやな気分になります。仲間うちで気心しれているから、多少は砕けた表現でも真意はくみ取ってくれるだろうと思っていても、後で暴露されて「あなた、あの時ここでこんな表現していましたよね」と追究されるかもしれない。

 かくいう私も、このブログの表現を取り上げられ、「ここでこんなことを書いている人物だ」と、悪評を広めるための材料にされているようです。それは伝聞、さらに伝聞となって、永井はこんな酷い男らしいという評判になったとのことです(これも伝聞で、直接、抗議されたわけではない・笑)。

 日本では表現の自由が保障されていますから、書いた内容を曲解されようが、一部分のみ都合のよう良いに切り取られて使われようが、発信したら最後、その手の攻撃を受けることは覚悟しなければなりません。それでも、自分の言葉や文字が意に反した形で伝わるのは怖いですね。

 そもそも、普段から品行方正な言葉使いや文章表現をしていればいいではないか、美しい言葉と良識的な表現に突っ込みどころなどないだろう、と言われればその通りです(笑)。