追悼、山田太一さん

 脚本家の山田太一さんが逝去されました。

 ありふれた日常の中に人や社会の真理を問うような仕掛けが組み込まれているドラマをいくつも世に送り出してくれました。私は山田さんが描くストーリーの大ファンで、改めて数えてみたら書棚には18冊もの山田作品が並んでいました。

 とりわけNHKで放映された「男たちの旅路」は全シリーズDVDを購入して今でも時々、視聴しているほどです。山田さんは鶴田浩二さん演じる警備員・吉岡司令補のセリフを通じて、私にさまざまな教え、諭しを送ってくれると同時に、人間や社会のあるべき姿について考えるきっかけを作ってくれました。

 ライフルを持つた強盗がビルのテナントである宝石店から宝石を強奪をしようと、ビル警備室に詰めている吉岡と部下を拘束し、警報スイッチの解除を求めます。強盗は言います「お前ら給料いくら貰っているんだ。そんな安月給のために会社に忠誠誓ってスイッチの番号教えずに撃たれて死んじまったら馬鹿らしいだろう。早く教えちまいな」

 警備会社の部下の若者は言います「そうだよ、コイツの言うとおりだよ。教えちゃおうよ。教えちゃえばいいんだよ。それでさっさと帰ってもらおうよ」

 吉岡は言います「脅せば誰でも言うことを聞くと思うな。人は命が惜しければ何でもやるなとど高を括るな」

 若い部下がうろたえます「司令補、何でそんなこと言うんだよ。死んじまったら終わりじゃないか、大人しく教えちまばえいいんだよ」

 吉岡は動ぜず続けます「人間を舐めるんじゃない、脅しで言うことを聞く人間ばかりじゃないぞ」そして強盗に飛びかろうとし発砲されて重症を負います。この吉岡司令補の行動をきっかけに人質となった一行は勇気を得て、わずかな隙に力を合わせて強盗たち制圧します。

 同じ回の場面だったかどうか記憶は定かではありませんが、吉岡は若い部下にこう語ります「金のためだといえば納得し、得するからだといえば本当だろうと信じる。誰かのためだとか、何かを守りたいからといえば綺麗事だとかウソ臭いという。しかし、世の中にそういう人間が一人くらいいてもいいだろう」

 吉岡司令補は元特攻隊員で多くの仲間を理不尽な死で失い、自分の出撃の間近に終戦になり一人生き残ったという設定です。若くして自分と仲間の生と死を極限状態で考え抜いたが故に「どう生きるのか」を深く洞察する人物として描かれているのです。

 人気バンドのコンサートを警備していた若い警備員が殺到するファンを制圧しきれずに、ファンの少女が負傷してしまいます。親は警備会社に怒鳴り込みます。「どうしてくれるのだ、責任取れ」と。少女の家に担当の若い整備士と現場責任者の吉岡司令補が謝罪に訪れます。

 両親は鬼の首を取ったように吉岡一行を激しく非難します。「警備がなってない、どういう訓練をしているのか、怪我の責任をどう取るつもりなのだ」と。一通り謝罪した吉岡は両親に問いかけます「ところでご両親は娘さんを叱りましたか?」両親はさらに怒って言い返します「どういう意味だ」「叱ったか、とお聞きしているのです」と吉岡。「何を言うんだ、こっちは被害者だぞ」と両親。

 吉岡は続けます「大の男が両手を広げて大声で、それ以上こちらに来てはいけないと静止しているのです。止まりなさい、やめなさいと警告している。お嬢さんはそれを無視して進んだしまった。だからお怪我をなされた。そういう娘さんを親として叱る必要があるのではないでしょうか?」「何を言うんだふざけるな」両親は激昂します。両親の会社への苦情通告で吉岡は謹慎処分を受けます。

 しかし、そうした一連の大人同士のやり取りを聞いていた娘が、家出をしてしまいます。謹慎となった身の吉岡は若い部下と手分けして娘を探し出します。娘は被害者であることで居丈高に振る舞う両親に嫌気がさし、一方で吉岡の語る自分の非について気づき、騒動の原因を作った責任に耐えかねて家出したのでした。

 ....何十年もたっているのにすぐに思い浮かぶエピソードでもこんな感じです。山田さんの脚本とそれを具現してくれた鶴田浩二さんの演技は、私の人生の指針にもなっています。「男たちの旅路」の他にも「早春スケッチブック」の山崎努さんと河原崎長一郎さんの台詞、「ふぞろいの林檎たち」で時任三郎さんや中井貴一さんらが語った台詞には、常に自分の人生を顧みるような深みがありました。

 いつか訪れることとはいえ、山田太一脚本の作品がもう見られないことは大変、残念です。しかし、素晴らしい作品の数々が残されていますので、それを繰り返し観ながら改めて山田さんが私たち問いかけてきたメッセージを読み解いていきたいと思います。