犬、給食、友達

 ラジオ番組で子どもの日にちなみ、子どもからの相談を受け付けるコーナーがありました。普段は大人のリスナーから寄せられるメール、葉書、FAXを読み上げるパーソナリティーが、その日は子どもの悩み事を読み上げます。
 「犬が嫌いなんですが、どうしたら好きになれますか」
 「給食を食べるのが遅いんですけど、どうすればいいですか」
 ふーむ。ということは、犬が嫌いなことはおかしい、という前提なのね......。給食は早く食べ終わらねばならない、という前提なのね......。まず、そもそもそういう前提自体がおかしいですな~。誰もが犬を好きでなくてもいいし、ゆっくり食べる人がいてもいい。そんなの人間としてのジョーシキじゃないですか。

 でも、子どもの「悩み事」になるとうことは、それがジョーシキではないということなのですね、今の世の中は。皆、犬を可愛いと思うはずだし、皆、給食はサッサと食べるはず、だからそうでない人はオカシイ、と思われるんでしょう。
 別の番組では、中1の子が、別の小学校から来た子のグルーブとうち解けられなくて困っている、という相談もありました。どうしても出身小学校別にグルーブが別れてしまうのだとか。それを解消しようと、努力して話しかけるのだけれど、話が続かない、盛り上がらない、とのこと。
 でも、そんなもんでしょう、普通。入学一ヶ月で完全に心を開き合って盛り上がっている、何てこと、滅多にないでしょ? いろいろイベントとか、席替えとかあって、徐々に、自然に討ち取れていくものですよ。
 何か、「こうあるべき」みたいな理想像があるんでしょうね~。その典型モデルにはまっていないと不安になる。平均値、恒例、といったものから外れることに異常な不安を抱く。設計図やマニュアルに従って生きるんじゃないんですから、人というものは。いろいろな考え方、生き方を認める社会であってほしいですね。