競争社会の歪み

 昨日、中学生がバスの運転士を刺した事件を採り上げてコメントしましたが、事件の概要が当初、私が知ったものとは違っていたようです。事件の概要は発生直後、某大新聞社のニュースサイトで知ったのですが、後の詳報では最初の報道とは随分違った内容になっていました。まずは、こうした誤報を平気で垂れ流すメジャーメディアの責任感のなさにびっくり。

 さて、少年の犯行のきっかけには、どうやら老人うんぬんは関係ないようです。現時点では、部活(バドミントン部と伝えられています)で技量が劣ることをバカにされていて、その仕返しをしたかったようです。多分、そのバカにした仲間を脅そうとでも思ったのでしょうか、ナイフを買った。身近にいた別の友人とバスジャックの話題になり、「できっこない」と断言された。そこで「驚かせてやる」と犯行に....。
 伝えられていることから類推すると、彼は何かと仲間に見下されていたようで、その日頃の鬱憤が爆発したのかもしれません。
 下手だと馬鹿にされた、お前になんかできるわけないと嘲笑された...そういう日常の積み重なりに「いいかげんにしろ、オレだってそんなにダメ男じゃないんだぞ」と言い返したい気持ちが募っていたのかもしれません。犯行の手口があまりに子供じみた突発的な形ですから、ぶつけどころのない憤懣が爆発したものと想像できます。
 昨日とは切り口が異なりますが、結局これも、昨日と同様、競争社会の歪みの一つととらえることができると思います。
 少年たちは学校でも塾でもスポーツでも、何かと勝敗、成績で差をつける日常に晒されている。全てに上下関係があり、少しでも上なら優位であり、少しでも下なら劣位になる中で生きている。相対的に劣位にある者は、優位にある者に対する劣等感があるから、常に相対的に劣位である者を見つけだし、それをバカにして「自分より下がいる」ことを確認して安心をえる。常に比較されている不安があるから、他人に少しでも自分より劣位である要素が見つかれば、鬼の首をとったように蔑む。

 バカにされた方も、過去のどこかで自分が優位な立場で劣位をバカにしたことがあるから、見下される側になってしまったことに対する耐性が低く、すぐに大きなダメージを受けてしまう。「フン、何だかんだ言っている方だって結構、アホなくせに」と受け流したり、「オレはこれなら負けないよ」と別の角度から見たりすることができず、相手と同じ価値観の中でもがいてしまう。
 進学でどこの学校の偏差値がどうだとか、サッカーのでどこの学校がベストいくつだとか、そんなことを真顔で話している少年たちを見ると、さもありなんと思います。どこに所属したかどうかではなく、自分がどのようにプレーしたか、そういう視点で見ることがなかなかできない。虎の威をかる狐になるのではなく、鶏頭となるも牛後となるなかれ、です。
 そういえば、何も聞いていないのに話しの端々で自分が某有名大出身であることを言いたがるヤツいたな~。