二筋の光

 新年早々、辛いニュースが続き、無神経に「おめでとう」と喜びあえないお正月になってしまいました。

 そんな重苦しい空気の中にも「よかったな」と思える出来事がありました。羽田空港での事故で炎上した旅客機から三百名を超える乗客が無事に脱出したことです。特に感動したのは、乗客の撮影した動画にも記録されているCAたちの的確な行動でした。指示と声かけが極めて明瞭に乗客に告げられていることがわかります。

 そして最も重要な機外への脱出。非常時の全ての行動には機長の指示が必要とのこと。しかし一刻を争う中、通信系統が炎上で不通になってしまったことでCAと機長との連絡は機器を通じては不能に。CAは直接コックコピットに走って機長の指示を仰いだとのでした。

 機長の許可を受けて、CAたちは前方二箇所の出口を開放することにしたのですが、その二箇所のみでは長い機体の後方にいる乗客の速やかな移動が難しいため、最後尾の出口も開放することが必要と考えられました。しかし機内の通信系統は不能、最後尾出口を担当するCAは機長の許可が受けられません。

 そこで、最後尾の出口を担当したCAは「機長の指示」という絶対的なマニュアルに従うことなく、自己判断で出口を開き脱出シュートを降ろしました。その結果、乗客の流れは三箇所に分散され、海外メディアからで「奇跡」と称される脱出が可能になったのです。

 激しく炎が燃え盛り機内にも煙が充満する危機的状況の中、的確に指示を出し乗客を誘導したこともさることながら、機長との通信不能というマニュアルにはない状況に直面しながら、とっさの判断で対処できたCAたちの応用力には脱帽です。特に最後尾の出口を自己判断で空けたCAの決断力は最大級の賛辞を贈りたいです。

 一方、そうしたCAの指示と誘導に整然と従い、決してパニックを起こさず冷静に脱出した乗客のみなさんにも驚きました。これって日本人だったからできたこと...と思うのは私だけでしょうか? 取材等で海外10カ国くらいに行った経験がありますが、乗り降り、出入り、などで日本のように整然とマナーを守り、その場に居合わせた人で可能な限り「最適」な状況をつくろうとする人たちには海外ではなかなか出会えません。

 事故は海保の犠牲者も出て痛ましいものでしたが、脱出に関しては乗員、乗客とも「日本人ならでは」という素晴らしさを見せていただいたような気がしています。

 もう一つ気持ちに明るい光を差し掛けてくれたのが高校サッカーの応援。地震で地元が大打撃を受けた石川県。地元代表星稜高校の応援に出向くどころの話ではなくなりました。しかし、対戦校がブラスバンドなどを動員し大声援を送る中、星稜高校が選手だけで戦うのはあまりに気の毒ということで、日大藤沢高を中心にいくつかの高校の選手が自主的に集まり、星稜高校の「にわか応援団」を結成しました。

 今の若者らしくSNSをフル活用して、呼びかけから応援グッズの調達まで一晩でやってのけたということですから素晴らしい。黄色のビニール袋に手書きで「星稜」と書かれたを即席の応援用ユニフォームは、高校生たちのサッカー仲間を思いやる気持ちでピカピカに光輝いて見えました。

 厳しい状況に置かれた仲間の心理を想像できる力、力になろうと行動できる決断力、そして同じ気持ちですぐに集ることができる団結力。たった一晩でそれを成し遂げられるのは、日頃からサッカーのプレーでも判断、決断、実行を常に主体的に進めてきたからでしょう。

 どこが勝ってどこが負けたかなど、5年も経てば人々の記憶から消えてしまいます。しかし、こうした行動が取れた高校生のことは10年経っても忘れないでしょう。そして、圧倒的な行動力を示してくれた「にわか応援団」の選手たち、君たちは間違いなく社会に出ても有用な人材になるはずだ。

 

 

日本のスポーツの夜明け

 2023年はスポーツの明るい話題に溢れていました。

 まず野球のWBC。各チームのエース級がフォア・ザ・チームに徹した姿が印象的でした。もちろん、村上選手や吉田選手の打撃、源田選手の頑張りなどなど感動プレーを上げればキリがないのですが、私は特にあの超スーパースター大谷翔平選手のバントに度肝を抜かされました。「自分のプライドよりチームの勝利にプライオリティがありました」と、一千億円!!!!の価値をつけられた男の言葉。

 そして全国の子どもたちへのグローブ寄贈。もう神の領域。同じ稼ぎをしても女性タレントと豪遊したりロケット乗って悦に入っているどこかのシャチョーさんとは人間の品格が別次元ですね。世の億万長者たち、自分の卑しさがはずかしくて眩しくて画面の中の大谷選手の顔をまともに見られないんじゃないですか?

 バスケもすごかったですね。「高さ」という如何ともし難い物理的な壁に阻まれていた種目。しかしそこで2m超えの相手に向かって大活躍したのが172cmの河村選手と188cmの冨永選手。アジリティ、クイックネスに裏付けられたボールテクニック、パスセンス、クレバーな戦術眼、そした3ポイントシュート...もう芸術の域です。もちろん、野球の大谷選手、ダルビッシュ選手のように一流の現場の経験を伝え、自らの背中でチームをリードした渡邊選手の存在も感動的でした。「世界と戦う日本のバスケ」のイメージが見えた気がしました。

 男子バレーも良かったです。70年代に世界を席巻して以来、勝負強さという点でいつも失望していましたが、変貌しました。石川選手、西田選手の破壊力、決定力は凄まじい。強敵相手にバシバシと決めまくる。「ここが勝負」というところで以前はブロックに止められたり自らミスしていたことが目立ったのですが彼らはズバリと決めてくれる。イケメンの高橋蘭選手も大事な場面で期待通りの活躍をしてくれる。そしてチーム全体でサーブがよく、以前のようにミスして流れを取り切れずに終わることが少なくなったどころか、相手のレシーブを崩して攻勢を取る一因にもなっていました。

 サッカー日本代表、個々の選手が海外で活躍しましたし、代表チーム自体も好調でした。三笘選手、久保選手、伊藤選手、遠藤選手、冨安選手...今や選手たちは以前のように「学びに行く、経験を積みに行く」のではなく、堂々と「外人助っ人」としてチーム強化の一環として受け入れられ、チームの中心を担っています。ドイツ、トルコとの連戦で選手をほぼ入れ替えて戦っても連勝するなんて、私の若い頃には想像できなかったことです。どんな相手にどんなやり方で対抗されようとも、誰もが自分らしさを発揮しつつそれに対応した戦い方ができるようになりました。「自分たちのサッカーをするだけ」と言っていた時代からずいぶんと進化したものです。

 陸上・やり投げの北口榛花選手、体格とパワーがモノをいう投てき種目での世界一は快挙です。バスケ同様、日本人、特に女性は世界と戦うのは難しいとされていた世界です。自らチェコに渡って現地コーチの指導を仰ぎ、骨格と動作解析から理想的な姿勢、力の伝達方法を研究しての成果です。スポーツは医学、科学に基づいた工夫と合理的、科学的な努力が大切であることを証明してくれました。北口さんの姿勢を日本のあらゆるスポーツ指導者が参考にしていただきたいと思います。

 年末を締めくくってくれたのはボクシング井上尚弥選手。2階級で4団体統一チャンピオンの偉業。この欄でも何度か取り上げていますが、ボクシングというスポーツに内在する技術、体力、戦術をはじめとして、あらゆる部分での進化の可能性を隅々まで妥協なく追求しているという印象があります。格闘技界の世界遺産とでもいいましょうか。もしも格闘技の世界にノーベル賞のようなものがあったとしたら授与してあげたい。彼の「戦い」にまつわることの全てがあまり合理的に洗練されているので、口汚く罵りあったり、威嚇し合ったり、挑発し合ったりして、野蛮さや獰猛さをアピールしている他の格闘技関係者の行為が、幼稚で低レベルに見えて仕方がありません。

 こうして素晴らしい活躍の数々を振り返ると、世界を相手に結果を出しているアスリートには共通するものが見えてきます。スポーツを科学的にとらえ、データ分析や理論に裏付けられたトレーニングを行い、休息や栄養摂取を適切にとり入れ、メンタル面の調整にも気を配り、合理的なスケジュール管理を行う。そして限界を極めるために、誰に指示されるのでなく、誰の顔色をうかがうのでもなく、あくまで主体的に「自らの強い意志」でそれに立ち向かう。皆さん、クレバーで賢く人格も良い。

 スポーツバカでは世界とは戦えませんし、勉強か?スポーツか?などと古式ゆかしい考え方の中でも世界とは戦える人材は育ちません。スポーツだけで世間を渡るような人生でも、勉強に絞って進学に賭けるような人生でも、こじんまりと日本のムラ社会に収まるだけのことだと、世界と伍して戦ったアスリートたちは教えてくれている気がします。来年以降、スポーツだけでなくいろいろな業界で「世界基準」で活躍する人材が輩出されるといいですね。

 

 

ありがとう中村俊輔

 先日、中村俊輔選手の引退試合が催されました。

 彼と同年代のレジェンドたちが集結した豪華な顔ぶれ。ペナルティエリア付近で直接FKが与えられるよう「わざと」ファウルになるようなプレーを引き出すという、ピッチ上の全員が暗黙の了解をしている粋な演出。GKを努めた川口能活さんの「手加減」もあったとは思いますが、それにしても現役当時と同じ弾道で見事にゴール隅に決めて見せる中村選手のキック技術には感嘆しました。

 振り返れば、彼がプロ契約して間もなく、雑誌『ナンバー』のインタビュー記事で「期待の若手」として取材させてもらいました。高校を卒業したばかりでまだ体の線もかなり細く、プロ選手としてはひ弱な感じさえありました。しかし話を聞くと、自分のプレーをきちんと分析し、厳しい戦いの中で今の自分に何ができてどうプレーすべきか、また、今後、身につけていくべきものは何か、という部分に関して、とても整理された冷静な考えを持っていたことが印象に残っています。

 その後、優れたMFとして頭角を現し、日本代表でも中心的存在になりました。解せなかったのは2002年日韓W杯での代表落選。メンバー発表の際、当時の監督トルシエは会見場に現れることなく、JFAの幹部が選手名を代読しました。中村選手を外したことに対して記者から集中砲火を浴びることを見越して「逃げた」のです。歴代代表監督として前代未聞の振る舞いでした。トルシエには誰をも納得させるだけの堂々たる「中村外し」の理由がなかったのでしょう。攻め手を欠いて破れたトルコ戦、彼がいたら…と妄想してみても全ては歴史の中。

 小野伸二選手、中村俊輔選手…抜群のテクニックを持ち、ただ周囲の相手を翻弄して「上手い」と感嘆させるだけでなく、その動きが状況の打破、場面の展開、決定機の演出につながる、ほんとうの意味で「上手い」選手が現役を去りました。小野を思い出させる、中村のプレーを彷彿とさせる…そんな選手がまた現れてくることを期待します。

追悼、山田太一さん

 脚本家の山田太一さんが逝去されました。

 ありふれた日常の中に人や社会の真理を問うような仕掛けが組み込まれているドラマをいくつも世に送り出してくれました。私は山田さんが描くストーリーの大ファンで、改めて数えてみたら書棚には18冊もの山田作品が並んでいました。

 とりわけNHKで放映された「男たちの旅路」は全シリーズDVDを購入して今でも時々、視聴しているほどです。山田さんは鶴田浩二さん演じる警備員・吉岡司令補のセリフを通じて、私にさまざまな教え、諭しを送ってくれると同時に、人間や社会のあるべき姿について考えるきっかけを作ってくれました。

 ライフルを持つた強盗がビルのテナントである宝石店から宝石を強奪をしようと、ビル警備室に詰めている吉岡と部下を拘束し、警報スイッチの解除を求めます。強盗は言います「お前ら給料いくら貰っているんだ。そんな安月給のために会社に忠誠誓ってスイッチの番号教えずに撃たれて死んじまったら馬鹿らしいだろう。早く教えちまいな」

 警備会社の部下の若者は言います「そうだよ、コイツの言うとおりだよ。教えちゃおうよ。教えちゃえばいいんだよ。それでさっさと帰ってもらおうよ」

 吉岡は言います「脅せば誰でも言うことを聞くと思うな。人は命が惜しければ何でもやるなとど高を括るな」

 若い部下がうろたえます「司令補、何でそんなこと言うんだよ。死んじまったら終わりじゃないか、大人しく教えちまばえいいんだよ」

 吉岡は動ぜず続けます「人間を舐めるんじゃない、脅しで言うことを聞く人間ばかりじゃないぞ」そして強盗に飛びかろうとし発砲されて重症を負います。この吉岡司令補の行動をきっかけに人質となった一行は勇気を得て、わずかな隙に力を合わせて強盗たち制圧します。

 同じ回の場面だったかどうか記憶は定かではありませんが、吉岡は若い部下にこう語ります「金のためだといえば納得し、得するからだといえば本当だろうと信じる。誰かのためだとか、何かを守りたいからといえば綺麗事だとかウソ臭いという。しかし、世の中にそういう人間が一人くらいいてもいいだろう」

 吉岡司令補は元特攻隊員で多くの仲間を理不尽な死で失い、自分の出撃の間近に終戦になり一人生き残ったという設定です。若くして自分と仲間の生と死を極限状態で考え抜いたが故に「どう生きるのか」を深く洞察する人物として描かれているのです。

 人気バンドのコンサートを警備していた若い警備員が殺到するファンを制圧しきれずに、ファンの少女が負傷してしまいます。親は警備会社に怒鳴り込みます。「どうしてくれるのだ、責任取れ」と。少女の家に担当の若い整備士と現場責任者の吉岡司令補が謝罪に訪れます。

 両親は鬼の首を取ったように吉岡一行を激しく非難します。「警備がなってない、どういう訓練をしているのか、怪我の責任をどう取るつもりなのだ」と。一通り謝罪した吉岡は両親に問いかけます「ところでご両親は娘さんを叱りましたか?」両親はさらに怒って言い返します「どういう意味だ」「叱ったか、とお聞きしているのです」と吉岡。「何を言うんだ、こっちは被害者だぞ」と両親。

 吉岡は続けます「大の男が両手を広げて大声で、それ以上こちらに来てはいけないと静止しているのです。止まりなさい、やめなさいと警告している。お嬢さんはそれを無視して進んだしまった。だからお怪我をなされた。そういう娘さんを親として叱る必要があるのではないでしょうか?」「何を言うんだふざけるな」両親は激昂します。両親の会社への苦情通告で吉岡は謹慎処分を受けます。

 しかし、そうした一連の大人同士のやり取りを聞いていた娘が、家出をしてしまいます。謹慎となった身の吉岡は若い部下と手分けして娘を探し出します。娘は被害者であることで居丈高に振る舞う両親に嫌気がさし、一方で吉岡の語る自分の非について気づき、騒動の原因を作った責任に耐えかねて家出したのでした。

 ....何十年もたっているのにすぐに思い浮かぶエピソードでもこんな感じです。山田さんの脚本とそれを具現してくれた鶴田浩二さんの演技は、私の人生の指針にもなっています。「男たちの旅路」の他にも「早春スケッチブック」の山崎努さんと河原崎長一郎さんの台詞、「ふぞろいの林檎たち」で時任三郎さんや中井貴一さんらが語った台詞には、常に自分の人生を顧みるような深みがありました。

 いつか訪れることとはいえ、山田太一脚本の作品がもう見られないことは大変、残念です。しかし、素晴らしい作品の数々が残されていますので、それを繰り返し観ながら改めて山田さんが私たち問いかけてきたメッセージを読み解いていきたいと思います。

あの子が...

 Jリーグルヴァンカップアビスパ福岡が優勝しました。予算規模が3倍もある浦和レッズを倒した見事な采配を見せた長谷部茂利監督。歓喜に包まれる彼の姿を見て感慨もひとしおでした。

 長谷部君(笑)を初めて見たのは彼が小学生の時。横浜市の古豪・FC本郷のキャプテンでした。私が審判を担当した試合、開始前のトスに先立って両チームのキャプテンと握手をした時、目鼻立ちのはっきりした顔、キキリとした眉、子どもとは思えない引き締まった表情で固く握手をしてきたのが彼でした。小学生にしてもう既にリーダーとしての風格がにじみ出ていたという記憶があります。

 その年、私の率いるチームが市の大会の決勝に進みました。会場は天然芝が素晴らしい三ツ沢球技場。対戦相手は長谷部君率いるFC本郷でした。長谷部君はMFとして運動量豊富に働き、ボール際の厳しいブレーで我がチームの特徴を封じ込めました。当方の0-1の敗戦でした。あれから四十年…。精悍な表情をしていた少年はシルバーグレーの「イケおじ(笑)」になって、その采配力でビッグチームを屈服させました。

 長谷部監督と言えば思い出されるのが名古屋グランパス戦での「お返しゴール」。負傷のために蹴り出したボールを相手側に返すという世界共通の「不文律」を守らずに得点を挙げた際、次のキックオフで「守備放棄」を指示、敢えて相手に1点を取らせる措置を取りました。

 このプレーには伏線がありました。アビスパのGKとDFが味方同士で衝突し、脳震盪を起こして倒れている間にグランパスの選手が得点を奪うというシーンがあったのです。アビスパの外国人選手がそれに対する仕返しのような気持ちを抱き「それならこっちもやらせてもらう」と不文律を破ったのでした。

 アビスパは当時、順位的には厳しい位置にいて、その試合も結局2-3で敗戦になっています。何が何でも勝ち点がほしい試合だったでしょう。それでもフェアプレーの精神にプライオリティーをおいた長谷部監督。あの少年時代のキリリとした眉と濁りのない瞳を思い出しました。

 そして今回のルヴァンカップの快挙。長谷部くん、よくやった。横浜少年サッカーの誇りだよ!!

殺戮の実態

 最初の写真は航空機による爆撃です。次の写真はイスラム国戦闘員が捕虜となった民間人を処刑する直前の写真です。どちらが残酷かと問えば、ナイフで首を斬りつける二番目の写真のほうが残酷だと思う人が多いでしょう。

 航空機による無差別爆撃で失われる命は百、千という単位。一方、イスラム国戦闘員による処刑の犠牲者は一人。命の重さに軽重はなく死者の数が多いほうが残酷だとする論理はある意味不謹慎ではありますが、単純に数で見るなら一度に何百、何千という命を奪う爆撃のほうがはるかに残酷な行為です。

 ナイフによる対面の処刑は問答無用で直接、感性を揺さぶります。しかし、バラバラと落とされていく爆弾の一つひとつが地上で破裂して多くの人々を殺傷するということは、頭の中でそのように順を追って想像を巡らせねばイメージできません。

 湾岸戦争の頃から、戦争、紛争の報道が臨場的になりましたが、それでも人が直接、殺傷される場面が伝えられることは稀です。報道の多くは発射されるミサイル、飛び交う戦闘機、砲撃する戦車、発砲する兵士、そして着弾して黒煙を上げる建物、炎上する車両などです。「いやだなぁ」「怖いなぁ」とは思いますが、ミサイルや戦闘機の攻撃の先で何が起きているのか、砲撃、発砲を受けた相手は実際にどんな状態になっているのか、そこまで想像する人は少なかったのではないでしょうか。

 今、「イスラエル軍がガザを空爆」というニュースが毎日、伝えられます。これまでは「空爆」という行為の先に、どんな現実が展開しているのか、多くの人は漠然としか想像していなかったでしょう。しかし今回は連日、爆撃で傷ついたパレスチナの子どもたちの痛々しい映像が伝えられます。崩壊した建物の灰色の塵灰にまみれて血を流す子どもたち。狂ったように取り乱す親たち。病院そのものが攻撃されて混乱する医師たち。

 胸が締め付けられる映像ですが、爆撃という行為の先にはこうした地獄絵図が展開されるのだということ、戦争の現実とはこういうものだということを、私たちは再認識しておくべきでしょう。そして、「やられる側」になればこうした現実が待っているということと同時に、防衛だろうがなんだろうが「やる側」にまわった時には、相手側の子どもたちをこうした状況に追い込むのだということも、忘れずにおかねばなりません。

 防衛費という表現を使いながら国民の生活苦をよそに増額される日本の「軍事費」。その予算を使う果てにはこんな現実が待っているということを忘れてはいけません。日本の軍隊(自衛隊と呼ばれていますが)は「敵基地攻撃能力」が容認されています。今回のイスラエル軍の病院攻撃は「ハマスの拠点だから」、救急車への攻撃は「ハマス戦闘員が同乗しているから」でした。攻撃(防衛)の理由はいくらでもつけられるのです。

 「防衛」「敵基地攻撃」が始まれば、日本の子どもたちも相手国の子どもたちも、崩壊した建物の塵灰にまみれて血を流すのです。これからは、ガザ以外でも「爆撃」という言葉が発せられるたびに、必ずこの悲惨な実態にまで思いを巡らせるようにしましょう。

心神喪失 ?

 京アニ放火事件の容疑者に対して責任能力うんぬんの話がでています。この事件のようにとても残虐な犯罪が起きたとき、その手口の異常性から犯人は「心神喪失」状態で責任能力がなかった、とする見解が弁護団から出されることがあります。

 心神喪失というのですから、心理的にまっとうなものは全て失われていた、心が壊れた状態だった、ということです。心が異常な状態にあったときに起こしたことなのだから、普通に法を適応させて裁くべきではない、ということのようです。事実、心神喪失を理由に通常の殺人事件より刑が軽くなったり、時には無罪になる事件もあります。

 かねてから私はこの「心神喪失」による減刑、あるいは無罪という概念に大きな疑問を持っています。

 

 もし犯人が心神喪失状態でまともな判断力がなかったというなら、なぜ標的になる人を「殺す」という具体的な判断が下せたのでしょうか。放火とか、爆破とか、発砲とかの手段を選んだということは「そういうことをすれば人が死ぬ」という理解があることが前提です。刺殺にしても、ただ闇雲に刃物を振り回した結果ではなく、ちゃんと致命傷になる部分を狙って刺しているわけです。「人のどこを傷けたら命を奪える」ということを理解した上で実行しているわけです。

 そもそも何かの理由で「殺してやる」という意志を想起すること自体、動物にはできない高度な知的判断です。その上で「どういう方法を用いれば人が死ぬか」という概念を理解し、その(悪い意味での)正しい手順に従って、(犯人側から見れば)効果が出る方法で、想定したとおりに、狙った相手に対して実行することが殺人です。

 このように整然とした判断が連なった末の結果を「心神喪失の状態で行われた」と断じることは、かなり無理のある論理だと思うのです。「無差別な殺人」といわれるものでも、少なくとも「殺す相手は誰でもいい」という明確な意志があるわけですし、敢えて大勢の人がいる場所にわざわざ出向いて、それが可能な方法を選んで実行するという整然とした行動が取れているわけです。

 京アニ事件の犯人も、大量のガソリンを撒いて放火すれば瞬時に火災が起きて人の命が失われる…と想定したからこそ、必要なものをしかるべきところから入手し、手順通りに実行したわけです。心神喪失している人間なら、そうした因果関係を想定した上で手際よく実行することはできないはずです。

 考えてみれば、殺人なんてまともな精神状態ではできません。もともと広い意味での心神喪失状態で行われるのではないでしょうか。だから殺人犯が心神喪失であったか否かを問うこと自体、ナンセンスだと思うのです。まっとうな心理ではない、心神喪失の状態だからこそ殺人などというおぞましいことができるのです。殺人者の精神が通常の状態であったかどうかを見極めるなんて、最初から無意味だと思うのです。

 心神喪失にはきっと「法学」的な解釈があるのでしょう。でも、それは随分と私たち庶民の感情とかけ離れていると思います。