あの時もこうだったのかな...

 とある猛暑の日、気温と湿度から屋外の活動の目安を示す機器が「危険」を示し、人工芝グラウンド上の気温が38度に達しているので公式戦を中止にしました。両チームと審判が揃った開始30分前での決定ですから、当然、異論が出ます。

 「スケジュール的に難しいので実施しておきたい」「いつもこれくらいでもやっている」「他の会場でも同じような条件で実施している」「この時期は暑くなるのが最初からわかっていたはず」「選手自身が、やる、大丈夫だ、といえば実施していいのでは」などなど。想定していた意見が次々に出てきます。

 こうした圧力が間違った決断につながるのだろうな...と思いました。雨、風、雪、水、気温など自然相手の事故の原因を調べてみると、スケジュール重視、前例踏襲、横並び志向、などが必ず透けて見えてきます。もう一つ、重要な圧力が「気持ち」の問題です。止める、引き返す、断念する、ということが「弱気」「軟弱」を象徴するもの、とする日本体育会系独特の考え方です。

 この時も中止決定の後、応援に駆けつけた相手チームの関係者と思われる人が電話で話している声が聞こえました。「うん、中止だって。相手チームが暑いからいやだって言ってるんだってさ。しょーがねーよな、なさけねぇー話だよ。で、こっちは残って紅白戦やるんだってさ。うん、その方が試合やるよりレベル高ぇーからいいんだけどさ、ははは」

 気温38度に達し、測定機器が「危険」を指し示している状況で「断念しましょう」という決断を「なさけない」とする空気。体温を超える外気の中で激しい競技をすることが勇ましいことで、危険を避けるために断念することが弱者の決断だとする価値観。

 客観的なデータよりも気持ち、精神が優位。そんな価値観が長らく日本のスポーツ界を支配しています。そしてそれを支えているのが、異を唱えることを躊躇させる空気です。

 酷暑でも試合実施すべきと主張する人たちと話した後、ああ、あの時もこうだったのかもしれないな、と思いました。79年前の大戦で特攻に駆り出された若者たち。特攻はあくまで志願によるものでした。全員を集合させて「志あるものは前に出よ」という上官の声。「私はいやです」などとは絶対に言えない状況の中で、17、18歳から20代前半の前途ある若者たちが「自ら望んで」自分の身体が粉々に砕け散ることを選ばされたのです。

 冷静に、客観的に考えて、そんな狂気の作戦が効果をもたらすわけがありません。特攻兵の中には原書で勉強するようなインテリ学生もいましたから、それがどう考えても無謀な手段であることは理解していたはずです。それでも「無駄だと思います」などとは絶対に言えなかった。

 どんなに「一撃必殺」の精神が勇ましくても、待ち構える無数の相手軍団に目的を遂げる前に迎撃されてしまうことは明らかです。事実、その多くは司令部の想定した「成果」を挙げる前に撃ち落とされています。海の特攻「人間魚雷・回天」に関しては目的を達したのはわずか2%だったとのことです。

 効果はない、相手の戦力を低下させてはいない、という結果が示されても、特攻機は次々に飛び立ちました。天皇による終戦詔勅が出された後でさえ、出撃命令を出している司令官がいました。「最後の一人まで」という気持ちなのでしょうが、その後はどうなると想定したのでしょうか。まぁそれを見通せる能力がないから刹那的な決断ばかりしたのでしょうが...。

 そうした非科学的な思考は改めよう、というのが敗戦の教訓の一つだったはずです。しかし特攻を志願させた空気は、今でも時々、顔を出します、特にスポーツ界で。測定器の数値を見て「ああ、これはダメですね」と、関係する誰もが平静に言える日々は来るのでしょうか。その日、別会場の試合はすべて実施されていたとのことです。私たちだけが「弱気」ということなのでしょうか?