財産の喪失

 ラグビー平尾誠二さんの訃報を聞いた時は、思わず「嘘だ!」と叫び、椅子から立ち上がってしまいました。
 平尾さんとは、彼が主催する団体に私が講演で呼ばれた縁で知り合いました。お互いに日本のスポーツについて感じている部分がピッタリ一致し、あっという間に意気投合。その後、対談をさせていただくなど、何度か交流がありました。それぞれがスポーツに関して思うことをまとめた「キリカエ力』という本も出しています。
  とにかくカッコイイ人でした。精悍かつ整った顔立ち、均整の取れた逞しい体つき。ラグビー界の大スターであるにもかかわらず、少しも奢り、偉ぶり、のような態度はなく、物腰は柔らかで、言葉も丁寧。しかし、日本スポーツ界が抱える矛盾を語り出すと俄然、口調は熱を帯び、次々に先進的なアイディアが理路整然と飛び出してきました。人としての心身両面の「力」が備わっているなら、尊大な態度を取らずとも自ずとオーラのようなものが滲み出てくるものなのだな、と実感したものです。
 とりわけ平尾さんが強調していたのは、プレイヤー自身の自主、自立ということでした。監督・コーチに怒られるから、OBや仲間に批判されるから、という動機で動いているうちは絶対にダメだ。自分自身が常に客観的かつ論理的な視点を持ち、課題を掘り出し、それを克服するための高い目標を掲げ、自ら限界まで追い込んでそれをクリアしていけるかどうか、それがアスリートの基本...と、繰り返し強調していました。
 その後、平尾さんは代表監督に。私に熱く語っていた自主、自立のマインドを代表選手に植え付けることを試みました。しかし代表監督としての平尾さんは芳しい結果が出せていません。
 私は当時の選手たちが、平尾さんの理想について行けなかったのではと分析しています。物心ついた時からずっと、監督や親の顔色を伺いながら過ごしてきた選手たちが、代表に選ばれて初めて「自分で考えて、自分で追い込んでみろ」と言われても、なかなか難しかったのではないか、と。苦しさ、辛さに直面した時、やはり「怒る人」がいなければ、知らず知らずに「易き方向」に流されてしまったのではないか、と。
 知り合った当時、平尾さんは引退してしばらくたっていましたが、私が「平尾さんなら、まだ代表選手として行けると思いますよ。フル出場は無理だとしても、スーパーサブのような形でいいから、またやってくださいよ」と言うと、「しばらくやらないとね、人に当たる(タックルする)のが怖くなるんですよ。この前もね、久しぶりにやったら当たるのが少し怖くてね」と笑っていましたが、まんざらでもなさそうな様子だったことが印象に残っています。
 日本ラグビー界は大きな財産を失いました。もうすぐW杯が初めて日本で開催されるというのに...神様は何というタイミングで彼を天に引き上げたのでしょう。