同じシーンの繰り返し

 前回、女子バレーとサッカー五輪代表のことを取り挙げ、両者とも決定機に決め切れないことを嘆きました。まったくで同じことの繰り返しが男子バレーとサッカーA代表でも見られました。
 男子バレーのリオ五輪予選、せっかく流れをつかみかけても何度サーブミスして相手を楽にさせたことでしょう!!!ここで決めてくれれば、という場面でエースのスパイクが何度、相手のプロックにシャットアウトされたことでしょう!!!ちょっとでも十分なトスがこないと安易に軟打かフェイントに逃げてしまう気弱さは、少しで体制が悪いとシュートしないでバスに逃げるサッカーの選手と全く同じですね!!!
 サッカーA代表キリンチャレンジカップ決勝、準決勝で弱体化が著しいブルガリアに大勝して浮かれていたら、本物の実力者であるボスニアヘルツェゴビナ冷や水を浴びせられましたね。何十年も繰り返されている決定機を逃す「お家芸」(笑)を繰り返している間に、ボスニアはきっちりワンチャンスをものにしました。
 バレーもサッカーも、ホームで大観衆の圧倒的なサポートを受け、メディアにスター扱いされている選手がたくさくいるところは同じ。そして、決めるべき所で決められない「絶対的な」「圧倒的な」「他に類を見ない」(笑)勝負弱さも同じ。
 サッカーもバレーも、運動能力の高い子が大人の言うなりになっていれば勝てる高校生くらいまでの指導の質が諸悪の根源なんでしょうね。ここまでの間に自分の栄誉欲にまみれた大人が国内で「勝たせる」ことに執着して「勝利のバターン」にはめ込みすぎるから、いつまでたっても自立して臨機応変に立ち振る舞える選手が育たない。
 勉強もそうですね。目先のテストにバスする「術」を覚えることで精一杯になるから、自ら問題を発見して多角的に調べ、知識を深め、広げていく喜びなど得ようがない。図式的な記憶量だけは多くても、それを応用しアレンジする力が乏しい。受験で覚えたものを端から披露しても、火星にロケットを飛ばしたり、難しい国際交渉をまとめたりすることはできないのにね(笑)。
 なんだか日本人って、どうでもいいことにやたらと大きなエネルギーを消費しすぎているように思えるのですが...。話を大きくしすぎか(笑)。