同じ曲なのに...

 全聾の作曲家、現代のベートーベンとして名をはせた人が、実は他人に曲をつくってもらっていたという事が明らかになりました。曲作りができなかったばかりか、どうやら本当は耳も聞こえていたということです。
 大変、驚きましたが、考えてみれば、本人がやっているように見せて実は影で他人がつくっている、という「ゴースト~」の存在はメディアの世界では決して珍しくありません。タレント本などがその典型で、本人が書くことは滅多になく、ゴーストライターが本人の話を聞いて「それらしく」書き上げます。かくいう私も、さる大学教授、さるアスリートのゴーストライターを務めたことがあります。

 曲そのものは同じなのに、地味な大学の非常勤講師がつくったと言えば相手にされず、雰囲気のある出で立ちで登場する全聾の作曲家がつくったといえばビッグセールスになって賞まで獲得する...。人の心理とは面白いものですね。
 ハンディキャップがある人を応援したくなるのは人の常。しかし、それを逆手にとってあざとく儲けようとする手法は古今東西に存在します。
 バリの地下鉄の構内。いたいけな幼い子が眠る傍らで、やつれた表情で施しを請う母親。あ~可愛そうと、思わず小銭を差し出したくなりました。ホテルに帰ってそのことを話すと、「ああ、あれは女の本当の子どもじゃないんだよ」と地元の人。「子どもはレンタルさ」と驚愕の舞台裏暴露。憐れを誘うように、幼い子どもを借りて自分の横に寄り添わせ、何も知らない通行人から施しをせしめるのだとのこと。
 「~なのに...」とハンディの克服をどうこう言っている時点で、もうすでに色眼鏡をかけてしまっているのですね、私たちは。しかし...視点を歪めずに実力そのものを冷静にみて判断するということはなかなか難しいことです。
 特にスポーツでは「周辺のエピソード」が大好きですからね、日本のメディアは。特に「涙」に結びつくことにはめっぽう敏感(笑)。何かスポーツイベントがあれば、必ず「泣き」なくして終わることはない(笑)。騙してでも「悲劇」を装う話はなくならないでしょうね。