井戸を掘る人、水を飲む人

 震災以降、スポーツ施設のナイター利用が停止されていることは繰り返しお伝えしているとおりです。再開請願に対する役所の担当部署の対応が子供だまし以下のレベルであったこともお伝えしました。
 もちろん、私たちは節電に協力する意志がある。だからこそ、政府指針、あるいは自治体指針にそった形での節電をしますと言っている。しかし、その中で100%禁止は理屈に合わないと交渉しているのです。節電指針に合う15%削減等の指導をしてくれと言っています。
 また、私たちがナイターを利用する19:00以降は電力不足が懸念される消費のピーク時間帯ではありません。そこで節電することに、どのような意味があるのか。また、その時間帯に私たちが節電した電気がピーク消費時に対して流用(蓄電)できるのか。できませんよね。だからナイターを100%禁止して節電しても、電力供給不足をサポートことにはならないのです。
 こうした主張には現場のスポーツ仲間は皆100%同意します。しかし、だからナイター再開の請願活動を協力して進めようと誘うと、八割方は二の足を踏む。「どうせダメだよ」と下を向く。「言ってもムダさ」と諦める。皆、一度か二度は私が横浜市役所に行ったような「お願い」をしているのですが、私が受けたと同様の対応をされて、無力感にさいなまれてしまうようです。ずる賢い小役人の思うつぼです。
 でも諦めてはいけません。不当なことは不当だと言わねばなりません。筋の通らないことは正さねばなりません。ものすごくエネルギーが必要ですが、尻尾を巻いて大人しくしているよりはいいでしょう?
 先日、不当に停止されていた某学校の校庭開放の再開にこぎつけました。交渉開始から7~8ヶ月、数々の妨害工作にめげず、いろいろな人の協力を受け、繰り返される理不尽な対応をはねのけての成果です。交渉の中で主張した「節電目標に合致するナイター使用」についても、わずかながら道が開けました。望外の結果です。長い長い道のりでしたが、タフな交渉にめげずに向き合ってきて良かったと思います。

こうして多大なエネルギーをつぎ込み、時間と労力を駆使して成果を得ても、相手が公共の施設である以上、得られた成果は「皆さん平等」。その間、一言も発せず、一度も交渉の席につかず、交渉という概念すら抱かず傍観だけしていた人たちにも、等しく交渉の成果は行き渡ります。ずっと交渉の先頭にたってきた私たちのチームが再開されたグラウンドの抽選からはずれ、ここまで一切、何もしなかった人の団体がちゃっかりと使用権を獲得したりします。
 まあ、世の中こういうものですかね。誰もが「井戸を掘った人」の苦労をしのんで水を飲むわけではありません。ちゃっかり水だけ飲む行為を「恥ずべき事」と感じる感性があるかどうか。人間の品性の問題ですね。