学校という難題

 先日、ある種目のナショナルコーチと話す機会がありました。その種目の日本代表のレベルアップに尽力されている方です。その方が「いったい日本の学校って何ですかね」と嘆いていました。
 「優秀な選手を集めて強化トレーニングを継続的に実施しようとすると、常に試験とか単位とか実習だとかで全員が一定期間揃わない。学生なのだから勉学が本分というのはわかるが、その割には有名大学所属の選手なのに全然、頭が良くない。勉強第一というなら、もっと頭のいいヤツをよこせといいたい。入試を自力で突破できる賢い選手を入れてほしい。逆に、スポーツ推薦でバカでも入れてしまうなら、それは学校の広告塔として入れたのだから授業、単位などうるさく言わずに、思い切り競技生活に専念させてやってほしい」
 なるほど、海外での指導経験もあるこの方の意見はなかなか鋭いですね。日本では、スポーツという切り口から見た場合、「学校」という枠組みはとてもやっかいなものです。勉強して人を育てるところなのか、競技者として結果を追究していくところなのか、とても曖昧です。競技を追究しながら人格形成をするという建前はありますが、それを実践できている例は、受け入れている人数から考えると非常に少ない。
 この時期、中学生、高校生が進学に頭を悩ませていることでしょう。特に進学先でも競技スポーツを真剣にプレーしたいと考える少年たちにとって、受験する学校の部活の状況は、偏差値とならんで大きな関心事になります。偏差値はちょうどいいが、部活がNGというパターン、あるいは、部活の内容は申し分ないが偏差値ではNGというパターン。いろいろです。
 今さら言うまでもありませんが、学校教育と競技スポーツ指導というものが合体してしまっていることにいろいろな矛盾の種があります。やはりスポーツは地域を主体にして、どんな学校に通おうが、どんな仕事に就いていようが、皆が集える組織を母体にしなければなりませんね。