勝負と育成

 4月18日に解説担当したプレミアリーグはウィガンvsアーセナル。ウィガンは残り4試合で降格圏内スレスレの位置。何としても勝ち点をもぎ取って息をつきたいところ。方やアーセナルは、ベンゲル監督が一度は優勝を諦める発言をしたものの、チェルシーマンチェスター-Uのもたつきで、かすかな優勝の望みが再燃したところ。民放TVの安いキャッチフレーズではないですが、双方にとって「絶対に負けられない試合」となりました。
 試合は実力に勝るアーセナルが完全に支配し、前半41分、後半3分に得点して2-0とリード。後はじっくりと得意のバスサッカーを展開して、焦る相手の隙を突いて追加点をもらえばよい状態となりました。そして、残り約15分となってベンゲル監督は若手のメリダを投入。リードした状況で出場機会の少ない若手を投入し経験を積ませる配慮をみせました。
 しかし、その日のスタメンの中には同じく試合経験の少ない19際のイーストモンドがいて、そこにメリダが投入されると、MF陣の年齢は26歳のエブエ以外は19歳、20歳、22歳、23歳という若さに。若い彼らに、死力を振り絞って力づくの攻勢を仕掛けてくるウィガンの気迫をいなし、落ち着いて試合をまとめることが果たしてできるのか、心配になりました。
 案の定、アーセナルメリダ交代直後の80分に追撃の1点を献上、試合のペースは一転、ウィガンに握られてしまいます。そして終了間際の89分には同点ゴールを許してしまいます。ここにきてアーセナルの選手は完全に浮き足立ち、全てのプレーが「受け身」の状態になってしましました。そして猛攻に翻弄されるままにになったアーセナルはついてロスタイム、ウィガンの大逆転劇を許すのです。
 チームを預かる監督は、試合で結果を出すと同時に、選手を育てなければなりません。スタメンに19歳のイーストモントを配したのも、ウィガン相手なら一人くらい育成を考えたメンバーにしても大丈夫と踏んだのでしょう。また、2-0とリードすれば、もう一人、育成を考えた投入をしてもチームとしては大崩れはしまい、と判断したのでしょう。こうした配慮の繰り返しで、アーセナルは過去、どのチームよりも秀でた若手の育成を実現してきました。
 ところが、この日は失敗でした。相手の攻勢に浮き足だった時、誰かがそれを落ち着かせたり、勇気を奮い立たせたりすることが必要なのですが、若い選手が多いと、それがなかなかうまくいかない。必要以上に興奮して見境がなくなってしまうか、あるいは気持ちが沈みすぎて萎縮してしますか、どちらかに陥ることがある。この日のアーセナルは後者でした。
 放送の中でも申し上げましたが、私もベンゲル監督と同じような失敗を何度もしています。試合の流れを読みながら、経験のため、と思って投入した若手が、駅伝でいうところの「大ブレーキ」になってしまうことがあるのです。交代直後から試合のペースが一転して、勝てる試合をむざむざと落とす、ということがあるのです。
 一番安易な方法は、リードしたらそのまま手堅く勝ち切る事に徹することです。経験を積ませたくても、不安があれば絶対に交代などさせない。しかし、それをしていると、何年か後に主力が戦力ダウンした時に補てんがきかなくなる。また、サブの選手の潜在能力も引き出せずに終わる。理想は勝利も得て若手も試せることなのですが、レベルが均衡したリーグではそう、うまくことは進まない。本当にチームマネジメントは難しいものです。
 若手は使わねば伸びないことは確かです。勇気を出して使わねばなりません。そのために、断腸の思いで捨てなければならない試合もあるかもしれません。でも、そういう新陳代謝の道筋をつけることで、森羅万象の流転が健全に進むのです。
 「老人というが、若い奴はなにやってるんだ」と新党結成の後押しで息ましている某都知事。でも、私が関わる全ての社会的組織において、「残念ながらそれは老害以外の何物でもない」と断定できるものはそこかしこにあります。変化を好まず、聞く耳を持たず、可能性を模索せず、あきれるくらい労を惜しむ。そして口はうるさく出すが自分で責任はもたない。閉塞感のただよう日本をより息苦しくさせている人々。若手は失敗するものです。あなたも失敗を許されながら育ってきたのでしょう?----。