「我慢」という武器で戦う

 写真で男性に抱き抱えられているのはウクライナの一歳半の子どもです。治療室に担ぎ込まれる子どもの後方で、泣きながら母親が追いかけています。この男性に託す直前まで母親は傷ついた我が子を抱いていたのでしょう、彼女の胸のあたりは子どもが流した血がいています。

 平和に子育てをしていたのに、ある日突然、砲弾が飛んできて歩き始めたばかりの我が子が血まみれになるなどということを、どのように受け止めたらいいのでしょう。命が助かったとしても、この先どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、傷ついた子どもをどうやって育てていけばいいのか、何一つ希望がないのです。

f:id:johan14:20220317103331j:plain

 狂気の独裁者の傍若無人が続いています。その場しのぎの子どもの言い訳でももう少し筋が通っているぞと言いたくなるほど低俗なウソ八百の理由をかざして、罪ない人に向けた砲弾が無慈悲な破壊を続けています。攻撃を止めねばなれません。

 遠い日本で私たちがウクライナの人々のためにできることは限られています。しかし、間違いなくロシアに打撃を加えることに役に立つことがあります。それは、今、民主主義を掲げる各国がロシアの軍事侵略を止めるために行なっている経済制裁の結果として現れてくるさまざまな不都合を受け止めることです。

 ロシアはエネルギーや小麦などの輸出大国です。経済制裁でロシアとの「お付き合い」を止めると、日本に流入してくるさまざまな物資が不足し、流通の停滞、モノ不足、物価の値上がり、などが起きる恐れがあります。それは少なからず我々の日常に影響することでしょう。

 ガソリンが値上がる、パンなど食材の価格が上がる、こうしたことを筆頭に、これまで「当たり前」と思っていたことがそうではなくなることが予想されます。そうした不便、不都合を「なんで関係ない私たちがこんな思いをしなければならないのか」と自己中心的に考えるのではなく、この程度のことに耐えればいいのなら、いくらでも我慢する。ろくに寝られず、ろくに食べられない状況で、傷つきながら砲弾に逃げ惑うウクライナの子どもたちのことを思えば、どうということではない、という意識を持つことが必要です。

 平和国家は狂った軍事国家とは絶対に付き合わない、という断固たる姿勢を示さねばなりません。それを経済制裁という形で示すときに、私たちの強い「覚悟」も必要なのです。ガソリンが値上がりしても、パンや蕎麦などが値上がりしても、死にはしません。軍事侵略がまかり通る世界になってしまうことよりも、ずっとのましなことだと考えねばなりません。

 ロシアとの取引が社運を左右するという業者の方々もいることでしょう。そうした業者の方々の輸出入がストップすることに対して、公的に支援する仕組みが求められます。日本は「兆」という単位のお金を動かしている国です、その程度のことはやりくりできるはずです。一方、民間にもポンと「億」の寄付ができる人もいるのです。道楽の宇宙旅行に何十億もかける人もいるのです。そうした長者たちは、こういうときこそ、平和という大義のために「我慢」する人や組織を助けてあげてほしいものです。