涙の大ジャンプを支えた矜持

 同じ大会の同じ種目で既に競技していて公式記録も残しているものと同じものを、数日後に着用したときに今度は「不正だ」と糾弾される。一度認められたものと同じものを続けて着用したことがどうして「不正」なのでしょう。

 一度目とニ度目の間に自分だけが優位になる卑怯な加工をしたわけではない。それでもあの記録は実力によるものではなく、スーツの不正によってつくられたものだと決めつけられる。もし、スーツと密着する身体の微細な変化すらも「不正」扱いされるというなら、そんなことまでして勝敗を決めて何になるのだ、と思ってしまいます。

 高梨沙羅さんに言い渡された不正裁定に対して「当然だ」「フェアな判断だ」「高梨はズルイことをした」と納得する人が世界中にどれだけいるのでしょうか?

 スポーツにはルールがつきものです。スポーツに限らず、人間社会はルール遵守で成り立っていると言ってもいいかもしれません。ルールを設けるのは、秩序の維持、平等性の確保などが必要だからです。そして、全てのルール成立の背後には、そのルールをつくる必要がある理由、つまり「法の精神」があるはずです。

 しかし、時としてその「法の精神」は忘れられてしまい、「ルールを適応させる」こと自体が目的にすり替わってしまうことを私たちは体験します。道路交通法の「一時停止違反」などはその典型で、事故防止、危険回避という本来の目的から考えればまったく問題のない場面でも「ぴったりとは止めなかった」と隠れて見ていた警察官に摘発されます。きちんと減速して左右をしっかり確認し、十分に安全を確認していたとしても、「ぴったりと止まっていない」ことが法的には処罰の対象なのだ、と罰金をい渡されます。

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 以下は私の少年サッカー指導での実体験です。その大会では試合に際して「選手証」の提示が必要でした。自チームに所属していない他のチームの選手を、勝利のためにその試合にだけ「不正に」加入させて、本来のメンバーではないチーム編成で試合に臨むことを防止するための規定です。

 その大会は三日間にわけてリーグ形式で行われ、一日2試合ずつこなしていくスケジュールでした。その大会三日の最終試合(6試合目)で、私は子どもたちの選手証を忘れていたことに気づきました。

 「はい、失格ですね」と、まるで査定を下すことが快感であるかのような顔つきで担当者は言いました。

 選手証の提示の「法の精神」は、不正なメンバーの出場阻止ですから、その意味に照らして考えれば、不正があるか否かは、過去5試合のメンバー表と6試合目のメンバー表を照らし合わせて点呼確認するという少しの確認作業ですむわけです。それでも担当者は「選手証提示がルールだから、提示がなければ失格だ」というわけです。

 さらにその担当者はその後、再び「してやったり」という顔をして、「一つ前の試合も遡って失格ですから」と伝えにきました。

 実はその日の第一試合(通算5試合目)でも選手証を提出し忘れていたのですが、その時は大会本部も審判も相手チームも全くそのことに気付かずにいました。対戦した両チームも、試合をさばいた審判も、試合に関わった人間全てが、試合は成立したと認識していたものを、「そういえばあの試合、今から思えば選手証が提示されていなかったよね」と、選手証提示の確認義務を怠った自分のことは棚に上げて、記憶を遡って我がチームの失格処分だけは厳格にするというわけです...「ルールですから」と

 その結果、我がチームは2連勝したした5試合目、6試合目の両方を「敗戦」扱いとされ、スコアも勝ち点も実際の試合とは異なる「記録」とされたのでした。

 高梨さんへの失格処分を知った時、私はこの少年サッカー大会の失格処分を思い出しました。どうしてそのルールがあるのか、という法の精神を置き去りにして、ルールの適応にのみ厳格に取り組んでいくという部分が似ていると思ったのです。

 「あなたのしたことは不正だ」と、晴天の霹靂のような断罪を受けて、高梨さんの中にどれほど激しい感情の揺れがあったことでしょう...。想像を絶する過酷な心理状態で2本目のジャンプに臨んだ高梨さんを支えていたのは、「私は決してアンフェアなことをして勝とうとしているわけではない」というプライドだったのではないでしょうか。その矜持がなければ、あの心理状態であれだけれのジャンブはできないでしょう。

 高梨沙羅さん、あなたは本当に立派です。あなたは五輪競技者としては不本意な評価をされてしまいましたが、ジャンパーとして、人として、最上級の振る舞いを見せてくれました。人生最大の失望のどん底と言ってもよい状況で、よくぞ一流のパフォーマンスを披露してくれました。あなたの涙の大ジャンブは、この先ずっとずっと語り継がれていくことでしょう。絶対に「申し訳ありません」などと言ってはいけませんよ。