人間力

 最近、選手たちに「自分の気が向かないこと」について話をしています。

 サッカーを筆頭に、スポーツは相手のある戦いである。戦いが全て自分の思い通りに展開して、自分の好きなプレーだけに専念して勝てれば、これほど気分のいいことはない。しかし、相手もこちらを倒そうと必死になってくるわけで、試合の中で自分の思い通りにプレーできて、思い通りの展開になることは、そう多くはない。

 機械的に考えれるならば、自分の思い通りにプレーできることは、同等の力量の相手との試合なら50%、強い相手ならそれ以下になる。つまり、スポーツをプレーするということは、多くの時間、自分の望まない状況に耐えながら、何とかそこを脱して、少しでも自分の望むような展開に持ち込むことができるか否かという、忍耐と努力の勝負だと。

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 だから、アスリートは普段から「自分の望まないこと」に対してどれだけ対応できるか、いかにしてその「望んでいない」状況に耐えて、自分の望む展開に持ち込むための努力ができるか、が重要になるはずである。自分の好きなこと、快適と感じることにエネルギーは注ぐが、気が向かないこと、好きではないことは避けて通る、という姿勢では決して強いプレーヤーにはなれないと。

 というのも、最近、自分の好きなことしかやらない、という身勝手な選手が増えてきて困っているのです。会費やユニフォーム代を支払わない、練習も気まぐれで休む、ひどい場合は試合すらも無断欠席する、いついつまでに返信しろという連絡は期日までに返信しない。義務や約束はほとんど守らない一方で試合は出してほしい、自分の望むポジションに置いてほしいと主張と要求だけは一人前にするのです。

 この手の選手は、ポジションも「ここしかできない」と限定的であることがほとんどです。その「ここしかできない」が他を圧するような力量であればいいのですが、大抵は凡庸で、ありきたりのプレーしかできないことが多い。別のポジョンなら出場チャンスがあるが...と促しても「できません」「やったことないです」という。だから、チャンスを与えられる機会も、自分の可能性をアピールする機会も、極めて限られてきます。

 一方、先程あげた義務や約束をきちんとこなしている選手は、サッカー能力が高い選手が多い。彼らは私の戦術的指示に対する理解力も高い。しかも自分の望まないポジョンでプレーしてほしいという打診にも嫌な顔一つせずに「わかりました、いいですよ」と受けてくれる。そして、どこのポジョンに置いても、そのポジョンに相応しいプレーを平均値以上で示してくれる。

 サッカー界では「人間力」という言葉を使いますが、技術や体力とは別に、人としての器が大きい選手はプレーヤーとしても優れていることは確かです。自分の好きなことしかせず自己主張ばかりしているが選手としては優秀だ...という例はあまり見たことがありません。