引き際

 スポーツ選手には引退がつきものです。肉体の酷使が必須の職業である以上、止むを得ないことです。引退の形はそれぞれで、「まだやるの」と周囲が心配するまで選手生命を全うする選手がいる一方で「まだできる」と思われるうちに次のステージに進んでしまう選手もいます。サッカーで言えば、前者の代表がキングカズこと三浦知良選手、後者の代表が中田英寿さんかもしれません。

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 彼らのように、人生哲学が明確でそれに信念を持って決意したことであるなら、どちらの道を選ぼうとも周囲は皆、納得することでしょう。ところが、そうした誰もが納得する「引き際」を考えられる賢明な人ばかりではなく、もう退くべき段階に来ているにもかかわらず醜く地位にしがみつき、保身そのものが仕事のようになっている人がいるから困ります。

 アメリカでは、選挙で負けたにもかかわらず「選挙自体が無効だ」と息巻き、何があっても大統領の椅子は譲り渡さない、とゴネている人がいます。屁理屈のようなあらゆる手段を使って「勝ったのはオレだ」と主張し、大統領府に居座っています。仮にその屁理屈を通して前代未聞の再選をゴリ押ししたとして、その後 「お前はダメだ」と投票した過半数の国民をどう取りまとめていくつもりなのでしょうか。

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 きっと、とにかく権力さえ手にしてしまえば、歯向かうものを次々に辞めさせればいいだけだ、と考えているのでしょう。醜く地位にしがみつく人の常套手段です。そうして強権を振りかざしていく人の先には、必ず悲惨な「追放」という末路が待っています。権力や権利を振りかざしたとしても、結局は人の「心」をつかめない人間は惨めな最後を迎えるのです。チャウセスク、フセインカダフィ...皆なんと悲惨な最後だったことか。

 人の「引き際」を考えるとき、いつも平成天皇のことを思い出します。「象徴」としての立場を深く思慮し、その役目を完遂できないならその地位にいるべきではない、と決意され、前例の縛りや法的拘束がある中で、最も適切と思われる形を選択し、その立場を禅譲することを熟慮された。退かれる時には、多くの国民が労いと感謝の気持ちを持ち、まるで自分の祖父母をいたわるような気持ちで見送りました。

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 私自身も含めて、世の中の大小さまざまな「地位」にある人たちは、この平成天皇の見事な「引き際」を忘れないでほしいものです。アメリカのあの人にはぜったいに無理でしょうけどね。