本当に楽しいの?

 それ、本当に楽しいの? ....と疑問に思うことがあります。

 野球の甲子園大会、サッカーの全国大会などの出場校で、50名とか100名とかの部員の中で3年間、一試合も出場機会のない部員たち。野球部、サッカー部に入部したはずなのに、伸び盛りの青春時代を、野球そのもの、サッカーそのものがまともにできないまま3年間を過ごすことに、一体、何の意義を見い出しているのか、と思うのです。

 「たとえ試合には出られなくても、耐えて努力し続けたことが後の社会で役に立つ」などと、もっともらしい通説があるようです。バカバカしくて呆れてしまいます。「耐える」ことに価値を見い出したいのなら、何も大好きな野球、サッカーという場を3年間ムダにしなくても、毎日、冷たい滝にでも打たれ続ければいいのです(笑)。

 全国大会の「スタンド応援要員」になるよりも、たとえ県予選の2回戦、3回戦で負けるかもしれないけれど、9イニング、あるいは90分、自分の考えたように思い切りプレーできる環境の方が、スポーツのプレイヤーとしてはよほど楽しいと思うのですが。

 さて話は変わって、私が指導する少年サッカーでも「本当に楽しいの?」と思うことがあります。
 少年時代は競技力向上よりもスポーツする楽しさを提供することが優先。だから、子どもたちにはとにかく「サッカーが好き」という気持ち、「もっと上手になりたい」という気持ちがあることが全て、と思っています。

 

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 しかし、そんな気持ちが感じられない子もいるのです。私が「集合」の笛を吹くまでは他の子のように自由にボールを蹴らずにサッカー以外のことをしている。私が課題をデモンストレーションしても、あまり興味なさげにぼんやり見ている。その課題を失敗しても「次は失敗しないように」という前向きな姿勢はなく、平気でくり返し失敗し続ける。チーム内で紅白戦をしても、夢中でプレーを楽しんでいる様子はなく、明らかに集中力を欠いている場面が多い。

 そんな子を見ていると「君は本当にサッカーが好きなの? サッカーすることが楽しいの?」と聞いてみたくなるのです。

 「そういう子を振り向かせてサッカー好きに仕向けていくのがお前たちコーチの仕事だろう」というお叱りを受けるかもしれません。確かに「全ての子どもは間違いなく 100%サッカーを好きになるはず」という根拠のないバラ色の理想に向けて指導者は鋭意、努力すべきでしょうし、実際にこれから先も努力をし続けます。

 しかし「サッカークラブ」の看板を掲げて「サッカー好き集まれ」としている活動の中で、どう見てもサッカーに興味がない子を「無理矢理にでも」振り向かせることに対して、サッカー好きの子どもに対してよりも多大なエネルギーを注入すべきなのか? 私たちはそこまでして強引にサッカー好きを増やさねばならない使命を持つのだろうか?という疑問が残ります。

 サッカーがあま好きには見えない子どもに「本当にサッカー楽しいの?」と胸の内を聞いたことはありません。しかし「別におもしろくないよ...」とキッバリ言われたとしたら、私たちサッカー指導者はどうしたらよいのでしょう。