ヤンキー先生の情けない“なれの果て”が象徴すること

 「上」が言うことには文句を言わず黙って従う。日本スポーツ界にはびこる悪しき慣習。
 だから選手は「自分の考え」を持たず、持とうともせず、ただひたすら「言われたこと」だけを忠実にこなす。
その結果、まじめでよく言うことを聞くけれど、状況に合わせた「賢い」プレーができない規格品のような選手が大量に生み出される。
 こうした規格品選手は、高校生くらいまでなら大人の言いつけを厳守することで大活躍できるものの、成人して本物の「大人の戦い」になると、悲しいくらい応用の利かない稚拙な姿をさらけ出す。
 さて、話は飛びますが「共謀罪法案」汚い“禁じ手”まで繰り出されて強行採決されました。「テロ防止」というもっともらしい看板をかげていますが、この法でフランスやマンチェスターで起きたテロが防げると思いますか? どう考えても絶対に無理ですよね。そもそも「テロ防止」という意味では非常に未成熟な法案なのです。
 ではなぜ、そんな未成熟な法案を無理矢理成立させたのか。それは、この法案が国民の思想、活動の弾圧をする実態を持つからです。政権にとって都合が悪い人、つまり「抵抗する者」「うるさい奴」を捕まえたり拘束したりするための大義名分をつくった、というわけです。いうなればスポーツの鬼監督と同じ「テメェ、オレの言うこと聞かねぇとただじゃおかねぇぞ」「黙って言うこと聞いてればいいんだ」とスゴんで絶対に反論させない...という構造と同じ。
 沖縄の基地反対運動や集団的自衛権反対の運動など、政権にとって都合の悪い、目障りなことをする人は、実行する前に計画段階で「テロの恐れあり』という理由をつけてして捕えてしまおうというわけです。「デモ、一緒にに行こうぜ」と誘い合っただけで「ハイ、共謀罪」となってしまう恐れがあるわけです。
 こうなると、鬼監督の下でプレーする選手と同じですね。絶対に監督が間違っていると思っても「ここは我慢して黙っておこう」となってしまうわけです。そこが政権の狙い。
 スポーツの場合、そういう鬼監督は間違いなく暴走します。誰からも意見される事なく独裁的行動を続けていくと、やがてエスカレートして、暴言、殴る、蹴るが平気な暴君になっていく。政治も同じです。この政権は既に機密保護法、集団的自衛権などを次々に決めてしまいました。ひたひたと、戦前の臭いが歩み寄ってきます。
 ところで、ヤンキー先生こと義家文科副大臣加計学園問題で「ない」といっていた文書が内部告発で出てきたことを受け「内部のことを漏らしたヤツは処分だ」的なこと言ってましたよね。あれれ、ヤンキーって、一般的な素行の善し悪しはともかく、仲間が危ないときは体張って守るっていう男気みたいなものがあるんじゃなかったの? 「不良上がり」を売りにしていたのに、君はいつから体制ベッタリの忠犬になって、おびえながら「正義」を貫こうとしている部下に脅しをかけるようになったの? 君の「恐喝」の経験がこんなところでこんな形で発揮されるとは思わなかったぜ義家君。ヤンキーの後輩が「情けねぇ」って泣いてるぜ。
 まぁ義家副大臣のあの極めて情けない姿勢は、つまるところ共謀罪と同じ精神ということです。大切なことは「正義」かどうか、とか「真理」かどうか、ではなく、上に逆らわず、上にとって都合の良いことだけを黙ってしておけ、ということなのでしょう。
 そんな羊の群れみたいな人間つくってどうするんでしょう。牧羊犬が「ワン」と一声吠えれば羊が一斉に動くように、「戦え」と言えば躊躇なく銃を撃ち、爆弾を落とせる人間が増えていくのでしょうか?