始まりました、学習虐待!!の季節

 例年、この時期になると「勉強、塾」でサッカーができなくなる子供がでてきます。「お受験」のためです。
 親たちの言い分のパターンは例年、判で押したように決まっています。「土日に模擬試験があるのでスポーツとの両立はやはりどうしても難しい。子供とよく相談した結果、子供本人も受検に専念したいと言うので辞めます」
 まず、10歳、11歳の子が自ら望んで友達と自由に遊ぶこと、好きなスポーツを断念して、自ら受験戦争に身を投じたいと願うことは、人間の発達の摂理からして絶対にあり得ません。
 子どもは、歯が生え始めると噛みたがり、立ち上がれば歩きたがり、字を理解し始めれば本を読みたがる。子どもに生じる欲求は、体内で生じている機能の発芽とリンクしています。小学生の時期といえば、本来、体の色々な部分を思い切り動かして遊ぶ中から成長の基盤となる身体的刺激を受け、いろいろなキャラクターの友達と関わって自己主張したり、妥協したりする中から人との関わり方を学び、笑い、泣き、驚き、怒り、嘆き、感動する中から人格を豊かにする様々な感性を刺激され、夕方にはすっかり疲れてご飯をもりもり食べてぐっすり眠る、というのがあるべき姿。そうした成長に欠かせない自然の欲求を無理矢理抑えつけているわけです。
 もちろん、子ども本人は親に「どうするの?」と問われて「勉強を頑張ることにする」と実際に応えているはずです。親も、そうした子の反応を聞いて、言質を取ったのかのようにしたり顔になっていることでしょう。しかしそれは誘導尋問と同じです。そう言わざるを得ない状況に追い込んでいるだけの話です。もとより「やっばり僕、受験よりサッカーしたい」なんて絶対に口に出せないような環境設定があるわけです。あわれ本心とは違うことを言うように誘導された子は、心の底にある本当の自分の気持ちも言えないまま、本物の学問、研究とはまったく別次元の、単純記憶と機械的反復訓練の地獄に放り込まれるわけです。
 成長の自然の摂理に従って、遊んだり、友達と関わったり、スポーツしたりすることよりも、「受験勉強をしたい」と言わしめるような育て方など、私に言わせれば「教育」という衣を着た虐待そのものです!!!
 十分に遊ばず、スポーツもせず、友達とも深く関わらない中、ひたすら受験術ばかりと向き合っていると、大抵は異常に近眼が進み、運動不足で中年のように腹が出て、青白い顔をして簡単に骨折するようになります。まぁそれだけでも成長期の子供としては十分に惨めなのですが...実はそんなことは大きな問題ではありません。取り返しのつかない大きな問題となるのは、少年期の成長に適した環境を逸した事による、心の「歪み」です。
 その「歪み」は、はけ口をもとめてマグマのように膨張し続けます。そして、いずれ行き場を失い何らかの形で吹き出します。小学生のうちは、自分より弱い立場の子に対する陰湿ないじめ、などとして現れる例が多いようです。「えっ、あのおとなしい子が!?」と思うような子が、塾の同級生に大人の目が届かない場所でいじめに荷担していた、という例は何例も知っています。 
 念願の中学に合格の後は、無気力になって引きこもり、という例を知っています。「入学する」ことが最大の目的なのですから、達成すればバーンアウトするのは当然です。運良くバーンアウトが避けられても、体が大きくなり「父・母なんてもう怖くない」と思い始めると、解き放たれたように素行が乱れ、学習も進まず、反社会的な行動を取るようになったケースもあります。また、思春期になって自我が確立すると「今まで親の言うなりになっていたオレは何だったのだ」と悩み、親が望んでいたであろう俗な「出世コース」とはまったく異なる世界に突き進んでいく、というケースもあります。
 いずれにせよ「やればやっただけ効果が出る、やらない者は脱落する」という論理で親の焦りを誘う受検商法の良い「お得意様」になることで子どもの人格の形成を狂わすなんて、こんなバカバカしいことはありません。そもそも毎週、模擬試験をする必要はありません。学力の進展具合など、二ヶ月に一回程度確認するくらいで十分でしょう。たった一週間で利口になったりバカになったりしませんよ人は。