子どもは親の飾り物ではない

 酷暑の日曜日。成人チームの試合をするたに訪れたスポーツ公園。
 使用料を支払いに行くと、かたわらの空き地で親子がボールを蹴っています。子どもは3年生か4年生くらい。普段着です。かたや父親は上から下まで バッチリと決めたサッカー選手スタイル。胸には出身母校と思われる~高校というネームが大きく入っています。
 どうやら我が子にトラッブの練習を課している様子。父親が蹴るボールをマーカーで区切った場所から出ないように上手にトラップするという設定のようです。ところが、子どもはなかなか父親のイメージ通りにトラッブができず、しばしばボールはあらぬ方向に飛んでいってしまいます。子どもの動きを見ると、あきらかに初心者。
 「ホラ、なにやってんだよ。ファーストタッチが決まらなくちゃ何もできないんだよ。何だよ、それ。すぐに敵にとられちゃうじゃないか。それじゃ意味ないんだよ。
 いらつく父親は繰り返し、繰り返し、我が子にボールを送りますが、子どもは何度やっても上手くできません。そのたび、腕組みして説教する父親。大汗をかきつつ、何度も失敗し続ける子ども。
 すると、脇の植え込みから5歳くらいの弟とおぼしき子が登場「ねぇ、まだ~」と一人遊びに疲れた様子。そんな二男君の訴えにも耳を貸すことなく長男をしごき続ける父親。
 ああ、かわいそう、本当にかわいそう。長男君にとってサッカーは辛く苦しいものにないってしまうでしょうね。二男君も、そんなお兄ちゃんとお父さんの関係を見ていたら、自分もサッカーやりたいなんて絶対に思わないでしょうね。
 多分、父親は途中入部して経験者ばかりのチームメイトに後れを取っている我が子に我慢がならなかったのでしょう。スタートで後れを取っている分、人の二倍、三番やらねばならないんだ....というどこかで聞いたような論理を幼い我が子に強要しているのでしょうね。
 我が子が勉強でもスポーツでも後れを取っていることなど我慢がならない。カネと時間を徹底的につぎ込んでも、絶対に「勝ち組」にしてみせる。という親、多いですよね。それって、子どものためを思って...というのは言い訳で、100%自分の虚栄心のためですからね。自分の「飾り物」のとしての子どもをできるだけ見栄えのよいものにしたいという、結局は自分自身が賞賛されたいためのエゴなんです。
 自分だけバッチリと高校時代のユニフォームに身を包んで普段着の我が子をしごき、しかりつけているお父さん。よく考えて下さいよ。息子はあなたの飾りものではありませんよ。