国を思う気持ち!?

 大坂の学校で、卒業式の君が代斉唱の時、教師が歌っているかどうかを校長が口の動きを監視してチェックしたという出来事がありました。歌っていないと判断された教師は呼び出され、処分の対象になったようです。

 その校長は橋本元府知事、現市長の友人ということで、市長自身もそのクチパクチェックを「当然のこと」と全面的に支持しているとか。
 ところで、以前、クールな振る舞いと我が道を行く生き方で知られていた某サッカー日本代表選手が、それまでは試合前の君が代斉唱で歌うことはなかったのに、ある時からわずかに口を動かすようになりました。物知り自慢の友人によると、「あれは国粋主義の団体から脅迫を受けたから」ということなのだそうです。
 真偽の程はわかりませんが、「日本人なのになぜ国家を歌わない。今後も歌わねば、目にものを見せてやる。明るい夜ばかりではないぞ」などと脅しがあり、それに屈して彼が君が代を歌うようになったのだとすれば、今回の校長のチェックも力づくで歌わせるという意味では同じようなものでしょう。
 危害を加えられることが怖くて歌った歌、処分を恐れて歌った歌のどこに、心がこもるのでしょう。ハイハイ、わかりましたよ、歌えばいいんでしょう、歌えば.....そんな気持ちで歌っても、歌うことで示す意志、姿勢にまったく魂は入りません。某国の庶民が将軍様の死に対して示した、身をくねらせての号泣と同じです。
 一番しらけるのは、そうした大人たちのやりとりを見ている生徒たちでしょう。人は千差万別いろいろな生き方がある、その中で自分の個性を生かし、他者の考えも尊重しろ...人におもねらず自分の意志を持て...間違っていると思うことは堂々と主張しろ...主張するだけでなく相手の言い分も聞け...などなど日頃口うるさく指導している人たちが、一方でこんなことやっているのですから。
 日本に生まれて、日本に暮らして、日本国とその文化が嫌いだと思う日本人など、滅多にいないでしょう(と私は信じます)。でも、君が代を大声で歌うか否かのただ一点で、その母国を思う気持ちを踏み絵にするようなことは、どう考えても????です。
 よく日本、日本と大声で街宣する人たちが、仲間であるはずの同じ日本人に罵声を浴びせ、暴力を振るい、交通ルールを無視し、公道にツバを吐き、傍若無人に振る舞っていることがあります。本当に日本を愛し、国を良くしようと思っているのかと考えさせられます。橋本市長以下、鼻息の荒い人たちの力づくによる「国を思え」という圧力は、むしろ国を思う気持ちを白けさせはしないでしょうか。そういう意味では、強面で「日本」を街宣している人たちと同じにおいを感じます。