売らんかな

 浅田真央さんの自著がご本人の意向で出版中止になったそうです。何でも、ご本人は自分のスケーターとしてのあれこれを書きつづったつもりなのに、いざ販売という段になって、出版社側が広告ポスターに「ママ....」など先日お亡くなりになった真央さんのお母さんに対する気持ちを書いているかのような文言を使ったとのことです。

 話が違う、と真央さんが憤慨する気持ちは理解できます。ただでさえ、母を亡くした心の痛みに耐えながら競技生活を継続しているというのに、その気持ちを「売らんかな」の商魂に美談仕立てのようにしてまんまと利用されるとは....。人の不幸まで勝手に販売促進に使おうとする出版社の厚顔な無神経にはあきれるばかりです。
 でもまあ、日本のスポーツ愛好者は涙が大好きですから。スポーツ関連の記事なんか、挫折、忍耐、孤独、あるいは歓喜、至福、矜持、くらいの言葉のイメージを膨らませればいくらでも感動的な内容になりますからね。どこを見ても泣いた、笑った、耐えた、誓った、みたいな文章ばかりになる。肉親の不幸などは、格好のネタという風潮はありますよね。

 さて、同じ日にあった記事。高校の入学検査に野球の実技をいれるのはやめましょうという通達。言い換えると、今でもなお、野球の実技が入試代わりになっていて、投げたり、打ったりする力があれば、学門の府たる学校に入学できる制度がまかりとおっているということ。これ、野球ばかりの話ではありませんよね。学校、教育、という看板を投げ捨て、選手養成所であることを堂々と宣言するるがごとくの行為。
 何でも一流選手の出身校となると、次の年から応募者が爆発的に増え、偏差値もあがるのだとか。だから、学校の名前を新聞、テレビで売ってくれる運動部の選手は、頭の程度は不問で入学させるというわけです。つまり君を学校の広告塔として入学させます、免除する学費は広告費です、ということ。これも、出版社の「売らんかな」と同じ精神。
 どいつもこいつも、魂が腐ってますな。売れて儲かればいいのか、勝って名を売ればいいのか。骨の髄まで俗でありきたりな醜い精神。