過剰反応はやめよう

 震災に伴い、トップスポーツのイベント中止、延期が相次いでいます。巨大な施設の利用と多くの観客、関係者が動くイベントでは、消費されるエネルギーも膨大です。震災支援のチャリティーマッチならともかく、エンターテイメントとして通常の試合を行うことは自粛すべきでしょう。
 そうした自粛の動きは私たちのアマチュアスポーツにも及んでいます。一時的に活動停止状態にしているスポーツクラブがかなり多いようです。確かに、計画停電が実施される中、信号機の機能しない道をグラウンドまで子どもに通わせることは避けた方がいいでしょう。また、施設の破損等が確認できていない場合も、そこに大勢の子どもを集めることも見合わせるべきです。
 しかし、裏返すと、グラウンドまでの行き来の安全が確認でき、使用施設の破損等がない場合は、過剰に身構える必要はないと思います。もちろん、余震の心配が100%消えたわけではありません。ですから、もしもの場合の避難経路、待避場所の確認等の準備を十分に行う必要はあります。そうした準備ができるなら、子どもたちが思い切り体を動かすこと妨げる理由はないと思います。
 それでも、「とにかく今は自粛」と活動停止をしている組織があります。また公共の施設側も、施設の安全が確保できていても、「こういう時なので」という漠然とした理由で敢えて貸し出さないという所もあります。まるで「何もしないことこそ善」とでも言いたげな姿勢で、少し考えさせられます。
 今、学校もほとんど半日授業で運動部の活動も停止しています。午後から身をもてあました中学生、高校生が仲間とうろつく姿をあちこちで見かけます。その全ての素行が悪いとはいいません。しかし、彼らが手持ちぶさたで集団をつくっている様子を見ていると、いかがなものかと考えてしまいます。
 こうした状況を見ると、何やら昭和天皇の危篤時を思い出します。「陛下が伏している時に...」という理由で、商業施設が営業を自粛したり、テレビCMが放映を自粛したりしました。昭和天皇の回復を願う気持ちそのものは大切だったと思います。しかし、それとこれとがどのように関係するのか、と疑問を抱く行動も少なくありませんでした。
 今回も、「こういう時なので」という理由が、一人歩きしそうで心配です。被災地への思いをどのように示せばいいのか、ということと、日常の私たちの生活をどのような送るべきか、ということのバランスが、歪まないように気をつける必要があるでしょう。
 震災復興の妨げとなるような不要な電力消費、買い占め、などは被災地から遠く離れた我々も実行すべきですし、募金活動等をする精神も大切です。それが被災地を思う心でしょう。一方で、徒歩や自転車で通える安全なグラウンドで子どもたちが野球やサッカーをすることまで自粛する必要はないと思います。また、安全確保に自己責任を負える成人のアマチュアスポーツ活動も、取り立てて中止にする必要もないと思います。
 むしろ、そういう機会を通じて「スポーツを楽しめる幸せ」を確認し、同時に「スポーツどころではない」被災地の人々をどのように各自が支援できるかを考え実行させ、また「いつ、自分も被災者になるかもしれない」ということを認識させて危機管理の初歩を学ばせることが必要でしょう。それらをせずに、ただいつも通り脳天気に競技テクニックだけを教え込み、「こういう時」にあっても卑近な試合の自分の勝利しか考えないスポーツ活動こそ、自粛しなければならないのです。