ファミレスにて

 夕飯時、ファミレスで食事をしていると、ドヤドヤ(という感じ)で入店してきた親子4人連れ。

両親とも多分30代前半。子どもは上が1~2年生くらいの女の子。下は幼稚園児と思われる男の子。 

 男の子だけ脱兎のごとく走って着席。間髪を入れず注文のチャイムをピンポーン。他の3人がまだ着席していないのに、店員に「これ」とデザートのアイスを注文。遅れて着席した母親「あら、もう頼んじゃったの?」と涼しい顔。

 あのね、それって相当お行儀わるいよね。しかも食事の前に先に甘い物を食べるなんて、どうかしてしいるよね(ショーワ生まれのオジサンの心の声)。

 改めて家族でメニューとにらめっこしているうちにアイスが到着。父親はすぐにトイレに立つのだが、母は構わず店員を呼びつけて自分が食べたいものだけを注文。男の子はアイスを舐めながら「ボク、ハンバーグ」などど注文。「かしこまりましたと厨房に向かう店員」

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写真はイメージです


 ほどなく父親がトイレから戻ると再びピンポーン。店員を呼びつけて父親の分を注文するのだが、これが、あああだこうだ言ってなかなか決まらない。待たされる店員。その間、アイス食べる男の子は土足でソファの上を行き来。

 あのね、だったら全員揃ってからしっかりメニュー見て決めて、全部決まってから店員を呼んだら? 店員は召使いじゃないんだから。それと、ソファは座るためにあって立って乗るものではないし、仮に立つとしても靴を脱ぐものですよ(ショーワ生まれのオジサンの心の声)。

 食事を待つ間、父親は着席のまま声高に電話。「あ、すいません。よろしくおねがいします」みたいな話を周囲にもしっかり聞こえる音量で。その間、男の子は何やらわめきながらソファの上を土足で動き回る。すると母親がようやく注意「パパが仕事の話をしていいる時はしずかに!」

 あれれ、ということは仕事の話じゃない時は土足でソファの上ではしゃぎ回ってもいいのね。そもそも自分の夫が座席で大声で電話することも、何とも思わないのね(ショーワ生まれのオジサンの心の声)。

 さて、いざ料理が届くと、両親はそれぞれスマホを見ながらパクパク。

 子どもと一家揃って食事する時間も惜しまれるほど大切なことがスマホに掲載されているの? それ、食べているときじゃなきゃどうしてもダメなの?(ショーワ生まれのオジサンの心の声)。

 そして子どもは案の定、食事を残す。「だから食べられる分だけ注文しろって言ったでしょ。足りなければ、また注文すればいいんだから」と叱る母親。

 いやいや、そういん問題じゃないでしょ。食前にガッツリ、デザートのアイス食べてしまったからでしょ。そのことは何にも触れないわけ?(ショーワ生まれのオジサンの心の声)。

 そして、その家族は嵐が去るように帰って行ったのでした。う~む、あれを「食事」と呼んでいいのだろうか。ショーワ生まれのオジサンとしては、あれは食事というよりも動物への「餌やり」のように思えるのだが。あのようなマナー、行動が日常になっている家庭で育つ子は、いったいどんな大人になってしまうんでしょう。

 

 

 

暴力監督とバカ親

 大分県で少女バレーの指導者が子どもに暴力を振るった事件がおきました。まず、いまだにこんな前近代的なバカ指導者がいることに驚くのですが、その後、報道で明らかになったことにはもっと驚かされました。

 一つ目は、その暴力指導者の職業が学校の教頭という責任ある地位の「教育者」だということ(!!!)。この人、もし学校勤務中に、相手を殴っている児童がいたら、なんと言って教育していたのでしょうね。「君、暴力はだめだ!」と言っていたのでしょうか。

 二つ目は、県の当局が通報を受けて調査に入ったものの、暴力を受けた子ども本人の聞き取りをしないまま「暴力は認められなかった」という決定を下したこと。不思議なのは、暴力問題は起きていないと結論づけたのに、その指導者の公式戦の采配を一時的に停止させたとこと。

 三つ目は、これが一番、驚くことなのですが、保護者たちが自主的に会合を開き、「密告した」と思われる保護者に正座をさせて攻め立て、さらには、全保護者に対して「今後、指導内容には一切、批判、口出しをせず、何があっても県や連盟など上位団体に通告もせず、行われている指導を容認する」という趣旨の誓約書に署名、捺印するよう迫ったということです。

 

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写真と本文の内容は直接、関係ありません。


 以上三つとも、どんなに不適切な指導があっても、成績で「結果が出ている」という現実の前には理性も、道徳も、正義も、順法精神も、何も対抗できない、というゆゆしき現象を示しています。

 多分、全区大会常連の強豪チームなのでしょう。このクラブで活躍すると、スカウトの目にとまり、バレー強豪校への進学、強豪実業団への入団という道が開けることが多いのでしょう。昔からずっとこうして結果を出してきたのだから、また、それを当たり前として受け入れてきたからこそ結果が出たのだから、今さらどうこう言わせない。常識、正義、順法などといっていたら勝てないのだ。そんな論理なのでしょう。

 いうまでもなく、こうした前近代的、非人道的、非科学的な論法を押し通そうとするのは、チーム内で活躍しているレギュラーの保護者たちです。そうした保護者は、とにかく我が子が勝ち進むことだけが全てであり、その課程で自分の子どもが動物の調教のように扱われようが、人格を否定するような罵声を浴びせられようが、とにかく勝って結果さえ出ればいいのです。勝利、結果という麻薬の強度の中毒患者です。

 ずいぶん前の話ですが、全国大会で優勝した少女バレーの選手たちが全員、丸刈りだったことに衝撃を受けたことがあります。そして、当時のバレー協会に問い合わせたら「ああ、そんなチームはいっぱいありますよ」と言われて二度、驚きました。

 勝つための気合い、姿勢を示すための意思表示だったのでしょうか?。容姿が気になる思春期入口の11~12歳の女の子たちが全員、甲子園球児のような頭で揃っている姿は異様でした。それを「恥ずかしい」と感じさせないだけの魔力が「優勝」という結果の中にあったのでしょう。

 異様な髪型も暴力指導も、そしてそれらを容認し、むしろ推奨する保護者たちの異常な心理も、全て勝利至上主義の弊害です。結果が全てという論理です。この「とにかく結果が全て」という論理はスポーツで目立ちますが、音楽や芸術の指導などでも、そしてまた学習、とくに進学という部分でも形を変えて存在しています。

 「あなたのため」と言っていながら、実は親のため。親の虚栄心、親の自己満足のために子どもが「道具」「飾り物」になるという意味では全て構造が一緒。

 「監督に文句を言わないと誓約書を書け」と迫る親のもとで育っている子は、将来、どんな大人になるのでしょう。

揃いも揃って思考停止

 横浜市内の人工芝のサッカー場

 17:00~19:00の枠で社会人サッカーの公式戦をするための準備をしていると、前の15:00~17:00の枠を使っていた人たちが早々に引き上げてきます。どうやシニア世代の人たちのようで、時間枠の終了ギリギリまで試合をする元気がなく「もうここで十分」といった感じ。

 そこで、その方たちに「すみません。私たちは次の17:00からの利用者なのですが、皆さん、もう終わられたようなら、残りの時間、私たちがウォーミングアップのために使用してもよろしいでしょうか?」と尋ねると「ああ、どうぞどうぞ。私たちはもう使いませんから、ご自由にお使い下さい」と親切なお応え。

 いつもはコンクリートの道路でウォーミングアップしているので、グラウンドでまともにボールを蹴りながらウォーミングアップができるとは望外のプレゼント。「今日はラッキーだ」と喜びながらも、「念のために」とグラウンド事務所にその由、伝達にいきました。

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 「前の利用者の方々が早く終了し、ご厚意で残り時間を使っても良いと言われたので、利用時間前ですがウォーミングアップに使わせてもらいます」

 「いや、ダメです。許可は17:00~ですから」

 「~17:00までの利用者の方々が皆、もう終わったから使ってもいいと言っていますよ」

 「あなたたちの許可は17:00~ですから」

 「ほら、あのように68m~105mのグラウンドが広く開いています。対戦する二チームの30名近くの選手たちがコンクリートの通路ではなくあそこでウォーミングアップできれば、選手の怪我防止という点で有効ですし、本来、子どもや家族連れや高齢者も通る道路や広場をウォーミングアップで使う必要もなくなり、場所の安全な有効利用にもなるでしょう。

 「それを認めるとですね、全てのケースで認めなくてはならなくなる」

 「ばかばかしい。『あのケースでは、たまたま前の利用者がご厚意で許可し、合意が成立したから次の利用者が使ったのです』と説明すればいいだけの話じゃないですか。そうした事象に対処するのが管理の仕事ということでしょう。

 「私の一存では...」

 「あ~あ、マクドナルドの学生バイト以下だな、書いてあることを読み上げるだけかよ。思考停止だな。だったら、こうこうの決まりです、守って使って下さいと紙張っとけばいいだけで、あなたは給料貰って存在する必要ないだろ」(....以上の罵詈雑言は、私のココロの声で実際には発言していません・笑)

 ということで、両チーム合わせて約30名の選手たちは、広々と空いている68m~105mの人工芝のグラウンドを横目に、滑り台や遊具のあるコンクリートの広場で子どもやママたちを避けながらウォーミングアップしたのでした。

 使用権を持っている人が「どうぞお使い下さい」と言い、その厚意に感謝して十分な準備ができる喜びを感じる選手はじめ関係者がいて、大きなお兄さんたちがグラウンドに移動したので広場で思い切り遊べると喜ぶ子どもたちや家族連れがいて...その場にいた全ての人々が一人残らずハッピーになれるものを、「正式な許可が..とか、私の一存では..」などと「自分の仕事は張り紙と同じ」と宣言しているに等しい(笑)みっともない大人が一人いるだけで、全てが台無しになったのでした。

 翌日、この件をグラウンド管理の大元である市のしかるべき部署に連絡し「もう少し現場の事情に応じて対処できる柔軟性を認めてくれませんか? 」と訴えると。電話口の人は「ああ、そうなんですか、確かに言われるとおりですね...」と困惑。ついでに横浜市は370万人も人口がいるのに大人が使える市管理のグラウンドがたった7箇所しかなく、日曜日の倍率は100倍をはるかに超えていること、ウォーミングアップはコンリートの道路や駐車場で行っていること、などの実態を話すと、「そ、そうなんですか...」と絶句していました(笑)。

 まぁ担当が現場実態を把握していないことなどコームインの常態ですが、最後にダメ押しで予想通りの有り難い(笑)お言葉を賜りました。「私の立場ではこの場ではお応えできません。後日、折り返し連絡いたします」

 

 

祭りの後

 ラグビー日本代表の活躍は低迷していたラグビー人気を再浮上させることに大きく寄与しました。ラグビー教室に通う子どもたちが増えているそうです。多種多様なスポーツが楽しまれるようになることは、大変すばらしいことです。

 ただ、ラグビー界のこの先を思うと、少し心配な部分もあります

 一つは、今回のW杯は地元開催ということで、特別なチーム強化が実施されたという点。年間200日超という異例な長さの強化合宿期間は、間違いなく「今回限り」の特別なケース。各チームから選手をセレクトして大会前に一定期間だけ息を合わせるという、本来の代表チームの形式に戻った時に、どれくらい今回に近い強化ができるのでしょうか? 

 二つ目は、チームの半数が日本以外の7か国ものルーツを持つ選手で構成されていたという点。今回は「現代社会の多様性の象徴」ということで好意的な評価を受けていたようですが、これから先も常に、トンガ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカといった国々から選手を招聘し続けていくのかどうか? また、そうした「選手輸入」のシステムが、W杯が日本開催でないケースでも安定的に続くのかどうか?

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 三つ目は、仮に二つ目の懸念が払拭されたとして、国外ルーツの選手が「日本ラグビー」を支えているという状態になった時、あまり好きな表現ではありませんが「純粋日本人」のラガーが育つ余地が閉ざされていく恐れはないのでしょうか?

 サッカー界ではほとんどの国のリーグで、海外から移籍してくる選手に対する「出場枠」が設けられています。優秀だからといって海外出身の選手ばかりを並べて戦っていると、リーグそのものは面白くなったとしても、国内の選手が育っていく余地が奪われ、ナショナルチームの弱体化に繋がると恐れられているからです。

 さらには、今回はインタビューに通訳が必要な、つまり日本語で十分にコミニケーションできない「日本代表」選手がいました。日本語が話せない日本代表が増えた場合、ファン心理はどうなのでしょうか? 日本代表のジャージを着て勝たせてくれれば、そういうことは一切、不問なのでしょうか?

 四つ目は、やはりフィジカルが強くないと話にならないスポーツということです。スタンドオフやウイングなど、大男でなくても活躍できるポジションはあるものの、体格、筋力がかなり重要な要素となるコンタクトスポーツ。サッカーなどは早々に「フィジカルでは世界では勝負できない」と諦めている中、ラグビー界はその点をとのように解決していくのでしょうか?

 とはいえ、日本のラグビー復興に今回以上のチャンスは二度とないでしょう。それをどう活かすか、日本ラグビーの関わる人々の責任は重大です。

 

 

教師の質低下は、社会全体の倫理観低下の象徴?

 小学校の教師が同僚教師に暴言を吐き、恐喝し、暴行し、傷害を負わていた事件が報道されています。

 普段、子供たちに「イジメはダメ」「暴力は絶対にダメ」と指導している教師が、なんとその絶対的禁止事項を自ら実践していたというのですから、開いた口がふさがりません。しかもその手段たるや、激辛カレーを口にねじ込むとか、被害者の新車の屋根に登って踏みつけるとか、まぁまぁ不良生徒やチンピラヤクザもかくやと思わせるような悪質なものばかり。

 事件を起こした教師はその小学校から異動させられるとのことですが、そんな甘い処置でいいのでしょうか。私は暴行、傷害、強要、名誉毀損などの刑事告訴はもちろんのこと、教員免許は絶対に剥奪すべきだと思います。こうした人物を二度と教育の場に立たせるべきではありません。

 さて、事件に関して会見した校長の姿勢は、今の学校管理職の典型です。一校数年間の自分の任期の間は、とにかく何事もなく穏便に過ぎればそれでよい。多少のことは見て見ぬふりをして次の学校に異動してしまえばあとは知らんふり。定年まで無難に過ごし、教育委員会あるい専門学校の雇われ校長などなど、第二の人生が穏便に確保されればそれで「上がり」というわけです。

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 学校のグラウンドをお借りするスポーツ団体の代表という立場で、40年間も小学校、中学校、高校の校長、副校長とつきあってきましたが、上記のような傾向は年々、強まっています。以前は「自分の任期の間に少しでもよき環境の構築を」という情熱を持った管理職もいましたが、今は皆無に近い。判で押したように「前例踏襲」しかしない。

 だから、一旦、どこかで誰かが悪しき前例をつくってしまうと、誰が考えても「変だ」「おかしい」ということが延々と「前例踏襲」ということで受け継がれてしまう。どんなに論理的に矛盾したことでも「前からこうなのだから」と言われれば、「皆さんのよきように」と改善するこを放棄する。だから地域社会との関係でも、「顔役」を自認するような人物が「昔からこうだから」という前近代的な慣習を強要し続けることも容認してしまう。

 同じようなことが職員室でも起きているのでしょうね。十年選手のベテラン教師が、赴任一~二年の管理職よりデカイ顔をするなんてことがあるんじゃないですか?「昔からこうなんですから余計な波風てたないで下さいよ」みたいなイヤミ言いつつ。

 悪くても変でも矛盾してても「前例踏襲」して自身の保身しかできない管理職。小さな閉鎖社会を作り、閉じた論理で反民主的な人間関係を構築する教員たち。このように一般社会の常識、論理、倫理から乖離した組織の中で動く人間が、日々、子どもたちに向かって平然と道徳、常識を説いているのです。

 識者は、教員のなり手が減少する中、採用された教員の資質の低下が進んでいるといいます。そうでしょうか?。人間的に豊かな人物が教員を目指さず、他の職種に流れているのでしょうか? 私は、教員志望者に限らず、社会全体として倫理観、道徳観が低下している現象の一つと思っています。

 誰もが自分第一。物事を損得でしか考えない。人の目が届かず匿名性が確保されれば、平気で人間性に反することをする。自分が強者の立場になると、弱者の立場にある者に肉体的、精神的暴力を振るう。こうした誰もが持ちうる人間の「醜い部分」が、近年、あまりに露出しすぎているのではないでしょうか。

 

 

 

 

国籍?出身地?所属?...学生スポーツだってしょせんは傭兵部隊どうしの戦い

 ラグビー日本代表、驚きました。失礼ながらまさか勝つとは思っていませんでした。巨漢をそろえるFWの平均体重、ほとんどアイルランドと同じだったそうですね。そういう選手を揃えられるようになったのですね、日本も。

 ラグビー界にはラグビー界の慣習があり、代表選手と国籍に関しては他のスポーツとは違う基準があるそうです。そのため、今回のラグビー日本代表の半分は海外ルーツの選手とのこと。アイルランド撃破の快挙には、こうした海外ルーツの選手たちの存在がかなり大きかったようです。

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 ラグビー日本代表に海外ルーツの選手が多数を占めることに関して、違和感を表明する人も少なくないようです。確かに名前を聞いても姿格好を見ても、日本人なの..?という選手が多いことは事実。でも、ラグビー日本代表にそうした疑問を投げかけるのであれば、考えねばならないことは多くあります。

 サッカーだってラモス、ロペス、トゥーリオといった海外ルーツ選手の存在によって強化が進みました。反対に、マラソン猫ひろしさんとか、体操の塚原選手とか、日本を出て外国籍を取得し、外国の代表枠からオリンピックを目指した人もいます。

 卓球の中国人選手の中には、国内のレベルが高すぎて中国代表になることはむずかしいため、別の国籍を獲得して代表権を獲得する例があります。カタールなど中東の産油国では、大金を積んで自国の国籍を獲得させ、にわか代表選手をつくって強化するという手法が常態化しています。

 そもそも、現代社会は人の流動も激しく「生粋の~人」などという概念は崩れつつあります。母は~国籍、父は~国籍というような、大坂なおみ選手のようなケースは星の数ほどあって、もう、トップアスリートの間では「国」なんていう概念はとうの昔に形骸化しているわけです。要は、どういう国、組織に所属すればより良い条件で高い場所を目指せるか、という一点だけなのです。

 もう少し身近なところに視点を移しましょう。日本の学生スポーツなど、もう都道府県代表などという概念はとっくに形骸化しています。全国大会に出てくる代表校の選手が、幼少期から地元出身などというケースは希で、強豪校の大抵は日本中からかき集められた「傭兵学生、外人部隊」で構成されているわけです。

 スポーツ観戦で「我らの代表」という気持ちを抱くことは重要な役割を果たします。しかし、何でもかんでも「こっちか、あっちか」と無理矢理に色分けして、単純に「敵か味方か」と二分して、「自分側」と思う方に肩入れして応援するという心理は、こうした現実の前で、この先どこまで続くのでしょう?

 こっちでも、あっちでも、どうでもよく、単純に「このプレーすごいな~」とスポーツそのものを楽しむことが一番いいのでしょうね。

 

一過性ではなく

 まったく盛り上がっていないラグビーW杯...大丈夫なんでしょうか?

 ラグビー界には個人的な知り合いもいて、皆、一様にいい人たちばかり。私たちのサッカーと同じ「フットボール」として、応援したい気持ちは山々なのですが...。

 しかし、100名ほどのサッカー関係者が必死で抽選で引き当てようとしている月4回のグラウンド使用枠のうちの一つ(サッカーならその一日で6枠、12団体が使える)を、「この週はラグビー専用」として平然と丸一日、専用使用する決定を「上から」したり、こちらも数少ない少年野球場を、ラグビーW杯用の専用施設として何ヶ月も閉鎖することを「上で」決めてしてしまったり、などなど、他スポーツから大きな反発を受けるようなことを平然としているところが気になります。

 説明や説得、あるいは共感を求めるお願い、などがなく、全て決定権のある部署にいるラグビー関係者の号令一下、トップダウン、という感じ。これでは割をくった他のスポーツ団体から「何で?」と疑問の声が上がっても仕方がありません。禍根を残すような形で強引に進めていけば、開催後のサポートは冷ややかになるでしょう。

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強豪が本気を出すとやはり強い

 メディアはラグビー日本代表が強い、史上最強、と喧伝します。テストマッチでは、いくつかいい試合もしているようです。しかし先日、南アフリカに完敗。 W杯で大金星を挙げた相手に「あの時の再現」と挑んだようですが、文字通り完敗でした。強いチームが本気で構えて準備を周到にすれば、実力通りの結果が出るのです。

 南アフリカはサッカーで言えばブラジルやドイツみたいなものですから、そもそも結果は順当。しかし、事前の盛り上げ方、特にメディアのミスリードが過ぎるので、素人は「え、日本代表ってこんなに弱かったの?」ということになる。

 今はベスト8進出可能...というムードが煽られていますが、もし失敗したら、ダメージは大きいでしょうね。グラウンドを追い出された他スポーツの関係者は「あそこまでされて結果が出なかったのだから、もうグラウンドは渡せないよ」ということになるかもしれません。

 まず、メディアはラグビーに関して客観的で冷静な情報提供をしていただきたい。事実を知って、正しい知識で観戦する方が、本当に素晴らしいところを見つけやすいはずです。

 また、ラグビー関係者は、他スポーツからも応援が得られるような上手な体制づくりをしていただきたい。W杯が終わってもグラウンド不足は変わりなく、他種目と共存共栄していかねばならないのですから。

 バスケは八村、渡辺...と大いに盛り上げ、日本代表は強いというムードを作っておきながら、W杯では馬脚が現れてしまいました。その二の舞にはならないように。

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もっとやってくれる、と思っていた素人ファンも多かったのでは?