真理を説くこととパワハラの間

 Jリーグ湘南の監督の言動、行動がパワハラではないかと問題視されています。激しい叱責、叱咤の度が過ぎて、一部の選手、スタッフが心理的な不調をきたすほどになっていると報道されています。

 身体的な暴力は論外として、スポーツ指導における言葉の激しさ、勢い、といったものにはとても難しい部分があります。暴言と指摘の境目はかなり曖昧です。

 もちろん、あらゆる事象に関して「怒鳴らねば通じないことなどない」ということは真理です。「それは違うよ」と落ち着いて話せば、全ては通じるはず、ということも、その通りだと思います。

 次のような状況を考えてみて下さい。

 サッカーでサイドからゴール正面に向けて絶好のクロスが入った時、中央に位置する選手がぼんやりと何事もなかったように見送ってしまい、ボールがゴール前を通り過ぎてが逆サイドのラインを割ってしまった、という状況。ゴール前にいた当人は悔しがるそぶりもなく平然としていたとします。

 得点の可能性が高い状況を察知できないこと、それを逃しても事の重大さに気付かないことは、サッカーをプレーする上で「あってはならない」というのが万国共通の真理です。なので「絶対にそれだけは覚えてほしい」という熱意を込めて「そこでボンヤリ見送ってはいけない!!!それはサッカーで一番大切なチャンスの一つではないか!!! 」と語気を強めて叱咤したら、パワハラになってしまうのでしょうか? 怒鳴られた子どもが「コーチにきつく言われて怖かった」と訴えたら、きっとコーチは有罪になるかもしれませんね。

 

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 ならば、試合後に「あのね、あの場面では絶対にシュートをしなければいけなかったんだよ。ゴール前で絶好のボールを見送るなんて、サッカーではあり得ないことなんだよ」と落ち着いて諭せば、当人は「そうか!!!わかった。次は絶対に気をつけよう」と強く心に刻んで貰えるのでしょうか? ...まぁ理論的にはきっとそういうことなんでしょうね。

 ところで、私が訪れたことのある国はたかだか10か国程度ですから、海外ではみな..などと話を広げてはいけないとは思いますが、私の見てきた限りで言うと、サッカーの強国の育成世代の試合で今、紹介したようなゴール前の場面があったとしたら、監督、コーチが怒鳴る前に、チームメイトが一斉に「何やってんだ!!!」「そこでシュートしないでいつするんだ!!!」とシュートチャンスを逃した選手を怒濤のように激しく罵倒します。

 そのようにお互いに「ここでは絶対にこうしなければならない」「これは絶対にやるべきではない」ということを、子どもの頃から厳しく律しあって切磋琢磨している様子がうかがえます。そのような過程を経て大人になるからこそ、細かい場面でも、時間が残り少なくても、絶対に妥協しない厳しいプレーができるようになるのだな、などと思ったりもします。少なくとも、プレーに関しては、サッカー強国では完全にパワハラと断言できる言動、行動が多いと感じます。

 実は、先ほど例に挙げたゴール前のシーン、実際に少年の試合で遭遇したのです。ボールがゴール前を横切るのをあっさりと見送り、反対サイドのラインを出ても、誰も何も言わず、全ての選手、関係者が淡々と試合を続けていたのです。絶好のチャンスを逃しているのに、チームメイトも、監督も、コーチも、一言も発せず、一切、態度も変えないというシーンを見て「どうして誰も何とも思わないの???」と気味悪さを感じたのです。

 叱る指導はいけない、非難せずに褒めて伸ばすことが肝要、という意識が徹底された結果なのでしょうか? 私だったら「そこは絶対にシュートしなければだめでしょ~!!!」と大声で指摘したと思います。

 指導者は、人格攻撃や、プレーに関係のない誹謗中傷は絶対にしてはいけません。しかし、プレーに関わる真理を説く上で、ある程度の強さを含んだ語調、語気といったものは必要ではないか、というのが私の考えです。「サッカーが上手くなりたい、良い選手になりたいと思うなら、それは絶対だよ」ということを強く心に刻んでもらうには、メッセージに一定のレベル以上のバワーが必要ではないかと思っています。

 そんな私ですから、この先、いつか「パワハラだ」と追究されてしまうかもしれませんね。強い言葉で指摘したい場面に遭遇したら、これからはパワハラにならないように「オー、マイ、ガーッ」と叫んで気絶することにしますかね(笑)。

 

 

 

理解力こそがAIに負けない力だ

 私がサッカーコーチを始めた約40年前に比べて、最近の子供たちは、とても聞き分けが良く、真面目だと感じます。ふざけたりせずに教えたことを指示内容を守って一生懸命やろうとする。

 しかしその一方で、直接、指示していない応用的なこと、自分で創意工夫すること、になると、とたんに混乱してしまう傾向もあります。

 家庭でも、学校でも、各種習い事の世界でも、特に学習産業の戦略に踊らされる中で、「君の追究すべき正しい答えはこれ」という、唯一正解追究主義に浸りきっているからではないか、と私は想像しています。

 Aという課題が出されたら答えは唯一Bと決まっていて、CやDはあり得ない、という思考回路になっている。だから、何か課題が示されたら唯一の正解Bだけを探す仕組みだけが頭の中で動く。応用的な思考の結果であるCやDについては、「Cや Dもあるよ」と敢えて「教えて」あげなければ自力の発想では発見できない。

 

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 他者(コーチや教師や講師)から何かパターン化されたことを「習い・覚える」ことにかけては、とても優秀であるけれども、新しいことを「見つけ出す」「創る」「改変する」などという領域になると、恐ろしいくらいに稚拙なのです。

 非常に極端な表現をするなら、今の子供たちは、血の通ったAIと向き合っている感じ。記憶の量は多く、ある事項を入力すれば、対応する出力が正しく示されるのですが、データに蓄積されていないものは一切、関知できない。ゼロか一かの積み重ねで計算する機械と同じなのです。

 ところでAIといえば、古くは2001年宇宙の旅のHALやターミネータースカイネットのように、膨大な情報を蓄積したAIがいずれ人類に反旗を翻すときがくるのではないか、という恐怖がSFで描かれてきました。しかし、AIの研究で有名な国立情報研究所教授の新井紀子氏は、AIがヒトの能力を凌駕する「シンギュラリティ」は絶対にない、と断言しています。

 新井教授はAIの限界の例として、AIに英語問題を説かせた場合の例をあげます。6つの▢の部分に下に示された6つの単語を正しく入れて文章を完成するという問題です。

 

 Maiko:DId you walk to Mary's house from here in this hot weather?

 Henry:Yes,I was very thirthty when I arrived. So ▢▢▢▢▢▢drink.

 

       asked、cold、for、I、something、to

 

 この問いに対してAIは以下のように▢を埋めて最後の一文を完成させました。

 

 So cold I asked for something to drink.

 

 この回答は文法的にはまったく間違いはありません。しかし「So cold 」つまり「余りに寒かったから」喉が渇いてメアリーの家に着いたときに何か冷たい飲み物をもらったんだ、という話は、私たちの常識で考えたらありえません。なので、人間なら、以下のように答えます。

 

 So I saked for something cold to drink.

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 AIは事前に3300万もの膨大な英文を記憶していて、その中から頻度として最もよく使用されてる語順を選び出したのだそうです。つまり、この単語が使われた場合、頻度としてはSo cold...という順で進む確率が高いと判断したというわけです。

  AIはデータ計算の結果を確率から出すだけで「意味」は理解できない。だから「意味」の理解こそが、AIが人間を凌げない領域であり、シンギュラリティがあり得ない理由だ、と新井教授はいいます。

 新井教授は、教育では「意味」の理解、つまり読解力、理解力の醸成に最大の注力をしなければならないと警告します。恐ろしいことに、それらの力は伸び悩み、低下の兆候があることが調査で明らかになっているのだそうです。

 スポーツを教えていても、確かにそれは実感するのです。私たち指導者は入力−出力の機械的反応を叩き込むのではなく、きちんと「意味」を理解させる指導をしなければなりません。

自分も移民でしょ

 トランプ大統領が、アメリカではない国にルーツを持つ議員の批判的な姿勢に腹を立て、「アメリカが気にくわないなら、アメリカを出て行って自分の国に戻ってうんぬん...」という、子どもの口喧嘩みたいな低次元のコメントを出したとか。

 

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 あのおじいさん、アメリカ、アメリカと連呼して、移民、移民と敵視しますけど、あのおじいさんの何代か前まで遡れば、トランプ一家も間違いなく移民だったわけです。というか、現在のアメリカ人のほとんどが移民の子孫です。200年か少し前の独立までは、やがて「アメリカ人」と称するようになる人たちは皆、イギリスとかアイルランドとかオランダとかドイツとかスペインとかから渡ってきた人たち、つまり移民だったわけです。

 今「アメリカ」と呼ばれるあの大陸に大昔から住んでいた正真正銘のアメリカ人とは、ネイティブアメリカンと称される人たち。

 

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 コロンブスを筆頭に、「ヨーロッパを出た人たちは大西洋を渡って新大陸にたどり着いて」....と歴史では習いましたが、「新大陸」なんてヨーロッパ人たちの勝手な解釈。ネイティブアメリカンにとって「新」などと言われる筋合いはなく、昔からずっとあった土地。

 ヨーロッパ人たちは、ひたすら西に向かって航海すれば、やがてインドにたどり着くはず...と勝手に思い込んで大西洋に出た。そしたら、太平洋に出る前に大きな大陸があって、上陸してそこがインドだと勝手に解釈した。だからそこに住んでいたネイティブたちをインド人=インディアンと呼び、未開の原始的で野蛮な者たちと決めつけて虐殺し、略奪し、ヨーロッパ流のライフスタイルを流入させることが「開拓」だと自画自賛したわけです。

 ネイティブアメリカンが住んでいた土地に勝手に進入して大量虐殺して「ここはアメリカ」と独立させた子孫の末裔がトランプ。あの老体が移民、移民、と叫び、マイノリティーを蔑む様を見ていると、つい「オマエも移民の子だろう!!、そもそもアメリカ自体が移民の国だろう!!!」と突っ込みたくなるわけです。

 

アジア枠ではなく実力で...

 久保がレアルヘ、阿部がバルサへ。一昔前の日本サッカー界では想像だにできなかったことが現実になっています。この若い二人の「可能性」がとても大きな事は認めた上で、視点を変えて考えねばならないことがあります。

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 今や欧州サッカービッグクラブの経営は、未開の商圏に触手を伸ばす巨大企業の覇権争いと似た様相を呈しています。TV視聴者、グッズ購入者のパイは、もう欧州では飽和状態です。放映権収入をさらに拡大させ、関連商品の売り上げを伸ばして市場拡大のオセロゲームを制したいビッグクラブにとって、ファン拡大の余地が大きく残されている人口の多いアジアは、とても魅力的な市場になっています。

 サッカー先進国ではないアジアの国からヤングヒーローを獲得すれば、その出身地では「我が国期待の星」の活躍が見たい有料TV契約者とレプリカシャツ購入者が飛躍的に伸びるはず...と目論まれています。

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 もちろん、実際に戦力になればそれに越したことはないし、仮にダメでも一定期間の「売り上げ」は確保できるというわけです。かつてD・ベッカムが巨額の移籍金でレアルに加入した際「そんなに巨額を投資して大丈夫か?」と聞かれたペレス会長は「23番のシャツの売り上げだけでモトはとれるさ」と言ったとか(笑)。

 もちろん、久保、阿部の両名とその関係者はその「メカニズム」を承知の上で挑戦するわけです。ただの「商圏拡大戦略」の手段として一定期間、使われて捨てられるのか、チームに定着してホンモノの戦力になれるのか?これまでの日本選手のビッククラブ移籍で、戦力として真の成功に至った例はほとんどないことが気かがりです。

 久保も阿部も「アジア商圏拡大」などという「ウラ事情」とは関係のないレベルで、実力を認められて真の「戦力」になってくれれば何よりです。

 

 

あの国と同じ?

 先日、TVでタレント女性議員がアベソーリを褒め称え、現役時代のツッパリ役の口調そのままに野党をこきおろして「恥を知れ」と居丈高に放言しているシーンを見て、あれ?これどこかで見たことあるな~と思いました。

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 なんだっけーとしばし考えていると、ああそう、あれだ、と思いました。北朝鮮の国営放送の女性アナウンサーがやる、あの滑稽なプロバガンダ放送。

 まるで歌舞伎のセリフのような独特の抑揚がついた口調で、アメリカは悪魔の国、その同盟国を悪党ども、と蔑み、トランプ大統領は無知で哀れな老人と軽蔑する一方、自国の最高指導者は慈悲に満ち、英知を有し、勇気と決断力に富んだ最高級の人物だと叫ぶ。将軍様がお怒りになれば地獄の業火で刃向かう者の全てを焼き尽くしてくれるぞ!!!と凄む。

 アベ様はオマエたちの失政の尻ぬぐいをして下さっているのだぞ!!!そんなおエライお方に対して不信任案を突きつけるなんぞ、なんという恥知らずだ!!!とまぁこんな具合でしたよね。うん、ソックリだ、あれと。

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 まぁ考えてみれば、日本もかの国と同様、一党独裁だからね(笑)。やりたい放題だから、何でも。

 ソーリの妻がかかわれば8億の値引きがまかり通り、ソーリのお友達なら通らないはずの認可がすんなり下りる。責任を感じて自殺した人さえいるのに、都合の悪い文書はぜーんぶなかったことになって、関わった人間はその全てを綺麗に忘れましたとシレッとできる。国会でソーリを擁護するウソをつきまくれば「よくやったと」国税局のトップに座る。作れと命令してつくった公的文書の内容について糾弾されると、「こんなものつくりやがって」と受け取り拒否して「作ったヤツが悪い」と平然とする。通したい議案は全て強行採決する。沖縄なんか住民の70%以上が「イヤだ」と言っているのに「知ったことか」と強行する。やってることはほとんどかの国と同じ。

 ただし、こうして私が女性タレント議員の笑える演説に対して、ツクリ笑顔でバンザイする必要がないことが唯一の違い。アソーはでかい顔すんじゃないよ、小学校からやり直して、まず口の利き方を勉強して来いよ!!! なんて言うことが許されていることが、かの国との違い。

 とはいえ「ニラまれるとまずいから...」と自主的に権力側がイヤがるであろう文書、音楽、芸術、表現活動を避ける、つまりソンタクする組織、機関、団体は増えています。かの国のように強制的ではなく、自主的であるところが、実は最も恐ろしいのです。

 

 

 

何のために学ぶのか?

 とある学習塾の生徒に「君、何のために勉強しているの?」と聞いてみました。「う~ん...」と少し考えた後、「知識をつけるため」という答えが帰ってきました。「では知識は何のためにつけるの?」と聞くと、再び「う~ん」と考えます。これまでそんなこと考えたこともないし...という戸惑った様子ががうかがえます。

 しばし考えた後、「良い答え」が見つかったと言わんばかりのぱっと輝いた表情で彼はこういいました「わかった!!カネを儲けるため。カネのため」

 「そうか。キミは大学を目指しているよね。もし大学に入れば、何年後かにはいわゆる大卒だ。キング・カズって知ってる、サッカーの。彼はね、高校中退だから、正式には中卒だ。中卒だけど何億円も稼いでいる。君はカネのために知識をつけていずれ大卒になるんだから、中卒のカズにはるかに負けない額のカネを稼がねばいけないよね...」

「ああ、えへへ...」と彼は困惑した表情でした。

 

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ここで彼が表現した「カネ」とは、マイクロソフトやアップルの創業者のような偉業を為した末の人並み外れた財ということではないでしょう。本当に「アタマがいい」人のやることは、セコセコ知識を詰め込む受験勉強や「できた気分になる」だけの習い事などで培われるものではありませんから。

 彼も含めて大多数のお受験坊やたちは「カネ」とか「生活」とか「将来」などと表現されている、漠として自分でも明確に意識できない「幸せ的なもの」に向かって人生に一度しかない成長期の大切な時間を浪費しています。その「幸せ的なもの」とは多分、毎月の収支に悩むことなく一定以上の生活レベルを保つ、いわゆる「安定した」生活ということなのでしょう。

 住宅ローンを必死で返しながら、兄弟揃ってあれこれと習い事に通わせ、スポーツも芸事も何もかもができるスーパー子などもを育てて私立に通わせようとする。父は「痛勤」に耐え、社内の権力争いに翻弄され、理不尽な上司の指示を実行しつつ出来の悪い部下の後始末をする。母はせっせとパートに出て家計のやりくりをする。そうやって毎日、必死になって子どもに「安定した生活」のルートを用意してやるために疲れ果てている。その、今進行している目の前の毎日こそが、我が子の未来、すなわち、やがて我が子のたどり着く「安定した生活」ということなのでしょうか?

 なぜ勉強するのか...などと言われても、そもそも、学校だけでなく、いろいろな習い事に拘束される毎日だから、そのような思索をゆっくり巡らすような時間などないのでしょう。なぜ勉強するのか...など自問自答しなくとても、機械的記憶量であるの知識は増え、「さわり」だけを撫でたような習い事の技術は覚えます(敢えて「身につく」とは言いません)。

 今、多大なエネルギーを費やして一流大学卒と言われる学歴を得ても、業務に応じた的確な判断ができず、責任を持った結論がだせず、新しいモノを創造する意欲もアイディアもない、という若者が増えています。アタマは悪くはない、知識は豊富だ、人とトラブルを起こすこともなく人格も温和だ。「聞き分け」もよい。しかし、いわゆる「使えない」という人間が増えているのです。

 こまったことに、彼、彼女らは現状肯定が基本で、万象に関して「そうなっているのだから、しかたがない」という姿勢が鮮明です。権威や権力、古来の慣習、決まり事などとといったものに対して、おとなしく従属することが「当たり前」と思っている。また、社会の矛盾や、人としての在り方を問われるような事象があっても、「自分の腹が痛まないこと」には首はつっこまない。自分たちで変えたり、作り出したりなどという「大それた」ことは考えない。正確に言えば、「変えたい」と思っていないことはないのだが「それをやるのは自分ではない、誰か他の人だ」と思っている。

 「自分の枠」でしか見たり聞いたり考えたり行動したりできない。自分のアンテナに引っかかることでなければ、関わることができない。こういう人間を大量に生み出している原因は何か?を考えねばならない時期に来ています。私はその一因が、理由も考える暇もなく受験と習い事に多感な少年時代を浪費してしまうことにあると思っています。

 「カネのために知識をつける」という高校生の意思が、問われてその場で思いついたものではなく、前からずっと信じ続けていることであるならば、まだいいでしょう。金銭的成功を自分の夢とするならば、それはある意味、健全な学習動機です。

 でも本当は「高校生になれば、大抵はこうするでしょう? 周囲もみんなそうだし...深く考えたこともない。世の中って、そういうもんじゃないですか?」という漠とした考え方に流されていたなら、心配です。彼も、これから漠とした「幸せ的なもの」に向かってつき進み、やがて我が子にも意味がわからないまま複数の習い事と受験を強要し、その結果、現状肯定だけが取り柄の人間を増やしていくのでしょうから。

 

いいよ、戦って奪い返して来いよ(怒)

 北方領土を戦争して取り返せと言った議員。いいじゃないですか。行かせてあげましょうよ。誰も止めはしませんから。皆で揃って日の丸振ってバンザイして送り出してあげますよ。行ってきなさいよ。鉄砲撃ちまくって、突撃して、戦ってきてくださいな。仰せの通り勇敢に戦って見事に取り返してきたら、国民栄誉賞でも何で進呈して褒めてあげましょうよ。

 ただしその前に、戦争するってどんなことか、戦場ってどんなところか、例えばシリア紛争の最前線にでも行って、人と人が殺し合う現場ってどんなものなのかを、北方四島の時のように公費じゃなくて、今度は自費で「研修」してきなさいよ。

 昨日まで隣で談笑していた友の手脚がバラバラに吹き飛ぶとか、内蔵が飛び出た遺体の影に隠れて応戦しなければならないとか、乳飲み子をかかえた母親に容赦なく銃弾が浴びせられるとか、そんなことが日常茶飯に起きている現実をじっくり体験してきなさいよ。

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72年ベトナム戦争。ナパーム弾で衣服を焼かれた少女。


 「戦争して取り返す」と勇ましいこと言うのだったら、自分のアタマが一瞬で吹き飛ぶかもしれないという現実の中に躊躇なく自ら飛び込んでいく覚悟があるのでしょうね。まさか「自分は決めるだけ、行くの別の人」などと、コントのオチみたいなこと考えているわけではないでしょうね。「戦え、ただしオレは“行け”と命令するだけだ、行くのはお前たちだ」と言ったって、ぜんぜん説得力ないでしょ。

 ところで、アメリカ軍の志願兵が減って、補填のために街角で兵士をスカウトする活動があるそうです。大型トラックの中に疑似戦闘のシミュレーションゲームを搭載し「ねぇキミ、ちょっとやってみない」と誘うのだとか。ゲームだから、自分は絶対に傷つかず、死ぬこともない。ガンガン相手を倒して得点を挙げて気分が良くなってきたところで「キミ、戦いのセンスあるね。そのセンス、我が軍に入って国のために使ってみない」と誘うと、大抵はOKするのだとか。

 そうして入隊した若者たちが、訓練を受けて実際の戦場に送られ、ガンガン弾丸が飛び交い、目前で同胞が血を流して死んでいく現実に向き合わされると、足がすくみ、腰が抜け、時には恐怖で失禁してしまい、まったく使い物にならなくなるのだとか。「今、すぐに自分のカラダが吹き飛ぶかもしれない」という現実に直面すれば、さもありなんでしょう。

 勇ましいマルヤマくんには、そういう「現実」をじっくり体験研修してもらってから「出征」してもらおうじゃないですか。

 マルヤマ君に確認しておきたいのは、戦うだけではなく、戦って奪い返した後の国際関係をどのように維持するのか、きちんとした計画と見通しがあるのでしょうね...ということ。国と国の関係はPCのゲームではないので、奪いかえした時点でゲームオーバー、あとは気が向いたときにもう一度最初からやればいい、という訳にはいかないのですから。

 戦闘で死傷した人たちとその関係者の怨念は残り続け、焦土となった地域の復興、発展には膨大なエネルギーの投入が必要になります。中国や韓国に対して、70数年前の謝罪とか保証とかが未だにくすぶり続けているという悪しき前例があるのですから、それに学び、そうならない賢いアイディアを持っているはずですよね、トーダイ出なら。